社長直属の企画室には、主な部署から集められた約30人の課長級主席部員が並ぶ。最初の担当は、新機種に搭載するエンジンの選定。中期経営計画の毎年の見直しも担当し、監督官庁や業界団体が相手の仕事も回ってきた。さらに、リストラの旗を掲げる役目も果たす。要は「何でも屋」だが、手がけるのは会社の行く末を左右する難事ばかり。でも、「大きな仕事を任されている」との意識はない。「できることからやろう」の姿勢だけ。整備本部の品質保証部長になったときも同じだ。
米国に籍を置く飛行機を整備するには、米国の法律による資格が必要だ。2年ごとに更新され、通らないと、成田空港などに米国籍の飛行機がきたときに、整備をしてあげられなくなる。世界の航空会社は、各地に整備士を配置するのはたいへんだから、互いに整備を受け持つ例が多い。ANAも引き受けていたから、資格の更新は重要だった。
米国からくる検査官の応対役が品質保証部。更新の中間期にもやってきて、整備工場を回り、いくつか改善を求めて帰る。すると、社内から「そんな指摘を丸ごと『はい、わかりました』などと言うな。押し返してこい」と叱られる。部下とサンフランシスコへいき、米連邦航空局の出先機関と交渉したが、難航した。
とくに、更新時までに改善を終えておかないと、1件約20万円の罰金となると聞かされて、困った。何しろ、数十件もある。でも、上司は「カネはないからな、タダにしてこい。そこを何とかするために、米国までいっているのだろう」と言う。
検査官の間でも、話題になっていたらしい。1人が夕食をごちそうしてくれた際、ステーキを食べている最中に話が出て、食事が喉を通らなくなる。すぐにホテルへ戻り、コンサルタントらと対策会議を開くが、やはり分が悪い。ANAに38年勤めて、最も忘れられない出来事だ。何しろ食事が喉を通らないなどというのは、生まれて初めてだった。