残業代ゼロ賛成企業は「時代遅れ賃金体系」

仕事に対する報酬は、時間の長さではなく成果で払うという考え方は今のサラリーマンなら常識だろう。

契約が一つも取れない営業マンに多くの契約を取った社員と同じ給与を払えば誰しも頭にくるだろう。だが、そんな常識的な理屈をあえてこと挙げし、「時間ではなく成果で払う仕組みにするために労働時間規制を外す」という論理はかなり飛躍し過ぎてはいないか。

逆の論理でいけば「労働時間規制(残業代を支払っている)があるから成果主義が実現しない」ということになるが、実態はそんなことはない。

日本では初任給は一律であるが、その後は仕事の習熟度や成果に応じて昇格し、基本給も上がる。

同じ30歳でも同一企業内で10万円程度の給与格差も珍しくない。基本給が違えば当然、残業代の1時間当たりの割増賃金の金額も違う。

つまり、効率よく仕事をこなし、成果を出したものがより多くの報酬を手にする仕組みになっている。しかし、経済界はそう思っていないようだ。先の経団連の提言はこう言っている。

「労働時間の長さを賃金支払いの基準とする現行法制下では、非効率的に長時間働いた者は時間外割増賃金が支給されるので、効率的に短時間で同じ成果を上げた者よりも、結果として報酬が多くなるといった矛盾が生じる」

ここでは非効率的に働く人が長時間残業し、効率的に働いて成果を出す人は残業しないという前提に立っているが果たしてそうだろうか。

長時間残業する人が非効率な働き方をしている人ばかりではないし、効率的に仕事をこなし、成果を上げている人に対して会社や上司はさらなるスキルアップを目指し、困難な課題を与えて成長を促そうとする。その結果、本人もその期待に応えようと残業することになる。

そもそも成果主義的賃金体系(職務遂行能力、効率性、成果を評価し、昇給・昇級させること)になっていれば、時間当たりの割増賃金も高くなり、非効率で生産性の低い働き方をしている人の報酬が多くなることはないはずである。

仮に経団連が言うように非効率な働き方をする人の報酬が高いとすれば、根本的原因は「年功序列型賃金」にある。

成果を出している社員にとっては、同僚と給与が変わらず、たいして仕事をしない先輩や上司の給与が高いことに最大の不満があり、単なる“残業泥棒”への不満は二の次ではないか。

一般に日本企業の賃金制度は管理職層ほど成果主義の度合いが高く、非管理職層は年功型の運用が多い。とくに重厚長大の伝統的大企業ほどその傾向が強い(もちろん、若年期の年功的運用による日本型育成方式を否定するつもりはない)。