奪われる「冒険やチャレンジの機会」
日本だけでなく世界的にも、子どもたちは自然から遠ざかっています。親の世代からして外遊びの経験が少ないため、子どもたちにその経験を与えることにも消極的になります。
それに加えて、リスク社会となり、子どもを安心安全な環境の中でリスクなく育てたいと、冒険をさせることに臆病になっている大人が増えています。
冒険をさせるというのは、いってみれば、子ライオンを崖から突き落とす雄ライオンのような父性の力です。逆に、自分の目の届く安全なテリトリーに子ライオンを保護しようとし、テリトリーを侵す外敵を全力で攻撃しようとするのは、雌ライオンの母性の力です。
母性をつかさどるオキシトシンというホルモンは、子どもを守る一方で、テリトリー外の敵を攻撃しようとします。歪んだ母性は、モンスターペアレンツを生みます。
学校で子どもがケガでもすると、親が教師にすぐにクレームをつけ謝罪を強要するという状況は、教師を臆病にさせ、子どもに冒険の機会を失わせます。
大人がこぞって子どもたちをさらに「安心安全」の中に押し留めようとすることで、リスクを伴う自然の中での遊びは「危険だ」という理由で禁止されてしまうのです。
コロナ禍でさらにリスクを恐れるようになった社会は、この流れを加速させ、子どもたちは「安心安全」の檻に閉じ込められ、冒険やチャレンジの機会を失って、生きる力と意欲を低下させています。
過疎地の子どもたちが抱えている課題
私は今、40代ですが、幼少期は岡山県の田舎で育ちました。小さいころには、友だちと一緒に田んぼに飛び込んで泥んこ遊びをしたり、山を駆け巡ったり、木登りをしたり、川で泳いだり。田舎の子は当然のように、毎日外で遊んでいました。
小学校3年生で東京の都心に引っ越しましたが、都会の中にある自然公園で遊ぶなど、十分に外遊びもしていました。ファミコンが登場したのは小学校の途中でしたが、それでも身体を使って外遊びをすることも日常でした。
そんな私が、近年、鳥取県の江府町に移住して、いちばん驚いたことは、子どもたちがあまり自然の中で遊ばないことです。
江府町は、新月の夜には、漆黒の闇が広がる過疎地域ですが、奥大山の育む豊かな源流域です。子どもたちはさぞかし毎日、自然の中で泥んこまみれになって遊んでいるだろうと思っていたのですが、川遊びや虫取りよりも、家でゲームをしたり動画を観て過ごす子どもが目立っています。
もちろん、外で元気に遊ぶ子どもたちもいて、カブトムシの幼虫を掘り起こしたり、一緒に洞窟探検に出かけたりする心なごむシーンもありますが、昔と比較すると圧倒的に少ない印象です。
これは、江府町に限った話ではなく、じつは、全国でも、過疎地ほど同様の課題を抱えているようです。
過疎地では、集落に子どもが1人しかいないという状況もままあります。友だちと遊ぼうにも、家が離れすぎていて、インフラも不十分なため、学校から帰っても同年代の遊び相手がいません。
することといえば、動画の視聴やゲームであったり、オンラインゲームを通じて友だちと交流するしかないという状況があるようです。
これは、社会構造全体の歪みによって現れている現象のため、家庭だけ、学校だけ、自治体だけではなく、社会全体で真剣に課題解決に取り組む必要があります。

