壊すこともできず、使うこともできない

1976(昭和51)年に誕生したサンモール高砂は、開業当初は多くの買い物客で賑わった。だが、やがて姫路市や加古川市、そして同じ高砂市に相次いで生まれた大型競合施設に客足を奪われていく。屋根のないオープンモールという構造も、買い回り性の高い専門店を抱えるモールには不向きだった。

周辺に巨大な競合施設が生まれるたびに客足を削られ、天候に左右されるオープンモールという構造は買い回り客をつなぎ止められなかった。

そして核テナントの西友が抜けた穴を、埋められる店はもうどこにもなかった。地元商店との共存のために売場面積を4割削り、駅と商店街をつなぐ役割を背負って生まれた「駅前の中規模モール」は、大型化と快適さを競う時代の変化に対応する術を、最初から持ち合わせていなかったのである。

では、なぜ閉館後も取り壊されないのか。西館の上層階には分譲マンションがあり、いまも住人が暮らしているため、建物を解体するには区分所有者との合意が要る。かといって耐震性に問題を抱えた建物に、新たな店を誘致するのは容易ではない。壊すに壊せず、使うに使えないまま、時間だけが過ぎている。

閉店から9年経っても「状況が見えない」

2026(令和8)年3月の高砂市議会でも、サンモール高砂について「事業者からは再開発について検討を進めているとの説明を受けておりますが、現時点において具体的な計画の公表には至っておらず、市民の皆様にとっても状況が見えにくい状態が続いております」との発言が記録されている(「高砂市議会会議録」令和8年3月定例会)。

閉館から約9年、事業者は「検討中」と繰り返し、行政は「状況が見えない」と認めるまま、廃墟モールは駅前に立ち続けている。

開業初日に7万人を集めた建物がボロボロのまま駅前に立ち続けている光景が問いかけているのは、一つのモールの終焉ではない。「この駅前に商業は戻るのか」という、より重い問題なのである。

(初公開日:2026年8月22日)

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