生きることの中に「死」が含まれている

ジャーナリストの加藤仁さんが、『定年後』で、メンバーがやめないことに特徴があった広島の女性コーラスグループのことを取材していた。

一人暮らしの先輩が、生前から「私が死んだときは白装束ではなく、コンサート衣装を着せてね」「読経よりも自分の好きな曲をメンバーが歌って見送ってもらいたい」と遺言のように語っていた。

彼女が亡くなった時にその通りにすると、後輩たちは「自分のときもそうして」と希望して、一段とコーラスグループの結束力が強まった、という。

本来、死という現象は、合理性や効率を中心とする日常生活には取り込めないので、逆に「生きることの中に死が含まれている」という事実を意識的に取り入れることが、生き方を豊かにする方法ではないかと考えている。

棺桶の上の女性の手の接写
写真=iStock.com/SeventyFour
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「家族葬」が増えた結果起こること

現在80歳の男性は、新卒から65歳までメーカーで働き、その後取引先の会社に顧問として10年間ほど在籍した。現在は引退して趣味などを中心に生活している。

最近は会社員当時の仲間や先輩・後輩、学生時代の友人が亡くなったという連絡をよく受け取る。

しかし、ほぼすべてが家族葬なので、葬儀に出席することはできない。相当親しかった友人、知人でも最後の言葉をかける機会がない。

かつては葬儀が会社の同期や友人が集まる機会だったが、それも失われているそうだ。