米歌手マイケル・ジャクソンの存在
いわゆる「ボリウッドダンス」や「フィルミーダンス」と呼ばれるダンスや群舞のスタイルがいつ確立したのかについては諸説があってはっきりしない。バックダンサーの始まりについても、バックダンサーの定義から始めなければならないのでややこしい。
バックダンサーのような人たちはインド映画の黎明期から存在したが、バックダンサーが役割や職業として明確に認識されるようになった時期ははっきりしないのである。だが、現在のインド映画のダンススタイルにもっとも大きな影響を与えたのが米国の「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンであることは確かだ。
マイケル・ジャクソンはインドでも絶大な人気を誇った。現在インドで活躍するコレオグラファーや俳優たちの多くは、子供の頃にマイケルのムーンウォークに触れ、大いに魅了されたと伝えられている。
インド人マイケルファンの熱狂すさまじく
インドでカラーTV放送が始まったのは1982年だが、これはちょうど彼の「スリラー」が発売された年と重なる。カラーTVの衝撃と同時にマイケル・ジャクソンや「スリラー」のミュージックビデオがインドに上陸したことになる。
そのインパクトは計り知れなかったと想像される。マイケルに魅了された子供たちの中からは、「インドのマイケル・ジャクソン」と称されるプラブデーヴァーも生まれた。
さらにマイケルはミュージックビデオ製作にも力を入れ、歌と音楽とダンスの完全な融合を実現したが、これもインド映画は貪欲に取り込んだ。その中に、バックダンサーを使ったダンスも含まれていた。
「スリラー」のミュージックビデオにはストーリー性があったことも忘れてはならない。ちなみに、マイケルは1996年に来印し、ムンバイで公演を行っている。このときのインド人ファンの熱狂はすさまじく、マイケルにはインド首相よりも多くの警備員が付いたと話題になった。
世界の多くのダンスを取り入れている
インド映画の歌と踊りの源流をインド独自の文化に求め、説明を試みたが、実はインド映画はより広い世界から影響を受けている。
インド映画のダンスには、マイケル・ジャクソンはもとより、ジャズ、ヒップホップ、コンテンポラリー、サルサ、スイング、ズンバなど、世界中の様々なダンスのエッセンスが流れ込んでいる。
世界の潮流からずれているどころか、世界の潮流に完全に乗っている。もしそこに特殊性があるならば、何でも取り込んでしまうその旺盛な受容性と、ダンスシーンが映画やそのストーリーとの関連性の中で成立している点である。



