夫婦別姓に固執するのは「社会」の視点がないから
【山口】そもそも「社会」って、「世間」より抽象度が高いんですよね。「社会」は目に見えないけれど、「世間」は身近な「あの人」や「あの人」の顔を想像できる。彼ら・彼女らから悪く言われたくないという心理が働いてしまう。
「女性活躍」とか「男女平等」とか「性の多様性」などの概念を日本人が頑なに受け入れない現状にも理由がつきます。それが「社会」のためになるよと言われても、「そんなこと言っても、うちの嫁さんはちゃんと専業主婦をやっているよ」とか、「俺の知り合いに同性愛者はいない」となれば、見も知らぬ赤の他人(社会)のために、なぜ現状を変えなくてはならないんだ、となる。
「古き良き家制度を守る」と主張して夫婦別姓に固執する政治家たちも、結局は「俺の家」や「親戚・知人の家」くらいしか見ていないわけです。
【茂木】「社会」と「世間」で分けて考えてみると、いろいろ日本の不思議な現象の説明がつくね。「世間」のなかに「社会」という概念を取り入れてみたけれど、時と場合でダブルスタンダード的に使い分けていることが透けて見えてくる。
Googleの言行一致に感心する
【山口】「ダブルスタンダード」といえば、以前、Googleに取材して、「この会社、本気だな」と感心したことがあるんです。インターンの受け入れ制度において、あの会社は、一時期だけ自社に所属する学生たちに対しても、きちんとソースコードへのアクセス権限を与えていたんですよ。インターンとはいえ、いずれ彼らは卒業すれば、FacebookとかMicrosoftとか、他のテック企業に就職してしまうかもしれませんよね。そのリスクを知りながら、なぜそんなことをするのか尋ねてみると、Googleの人間はこう答えたんです。
「自分たちは、“情報”へのフリーアクセスを保障する世界をつくることを掲げている。その会社が、社員とインターンとの間で情報格差をつくったら矛盾してしまう。だから守秘義務を交わして約束を守ってくれる前提で、アクセス権限を与えているんだ」と。
日本の企業でここまで言行一致している会社は、なかなかないので感心しました。通常は表向き立派な理念を掲げても、実際は「さはさりながら」とか「そうは言いましても」と、モゴモゴと本音が続いていくでしょう。
いわゆるダブルスタンダード。松岡正剛先生風にいうと「デュアルスタンダード」かもしれませんが、これをやっている限り、プラットフォームビジネスは成り立ちません。
なぜ、ダブルスタンダードがよろしくないかというと、やがて矛盾が外にバレてしまうからなんです。あとは当人たちがものすごい脳内の情報処理をしなくてはならなくなるからです。
「いまは本音で話していい時」と「いまは建前で話そう」と分けて考え続けるのって、脳に対してもかなりの負担ですよね。しかも、結局いざという場面では「本音」を優先させてしまうから、結局コンプライアンス違反にも陥ってしまう。だから「ダブルスタンダード」は、賢いように見えて、実はもろ刃の剣なんです。


