個人が特定されないと、ありとあらゆる罵詈雑言が跋扈する
【茂木】こうやって「世間」と「社会」をテーマに考えてみると、いろいろなことがつながってくるね。日本人は礼儀正しいし、サービスもいいと外国人も絶賛しているけれど、それも考えてみると、「世間」を重視する日本人の精神の表れだとも言えなくもない。先ほどの山口さんの表現を借りれば、「自分の周囲、半径10mの人々には感じ良い」ってこと(笑)。
だから日本人は駅のホームでも礼儀正しいし、満員電車でもひたすら我慢する。避難所や炊き出しでさえ、人々は我慢強く礼儀正しい。それは「自分を起点に半径10mの人に迷惑をかけない」という世間体が根本にあるからかもしれないよね。
ところが、ひとたび「自分の周囲、半径10m」の枠を超えると、とたんに自制心が解除されてしまう。ネット空間における匿名の誹謗中傷なんて、その最たるものですよね。顔や氏名が割れている「共同体」では感じ良くするけれど、個人が特定されないとなるや、ありとあらゆる罵詈雑言や中傷、蔑みが跋扈する不思議。
コンプラ違反も共同体の「世間」の内では“善”になる
【山口】僕も以前から不思議だったんですよ。「これほど律儀に信号を守る国はない」のに、「これほどコンプラ違反が続出する先進国も珍しい」のはなぜなのかと(笑)。一見相反する二つの現象が並び立つ日本人の内面は、いったいどういう心理メカニズムなのか。本来、「モラル意識が高い」と称賛される日本人社会で、なぜこれほど「コンプラ違反」が後を絶たないのか。
【山口】でも、これも「世間」と「社会」の関係性から考えると説明がつくんですよ。
つまり、信号は周囲の人々の目線、あるいは地域社会という狭い関係性における「世間」の目を気にするから、ちゃんと守る。
一方、企業のコンプライアンス違反も、その共同体の「世間」内では、立派な“善”なんです。本来、法的にNGだと分かってはいるけれども「自分の半径10m以内」の上司がOKだと言っているのだから、それは“善”である。むしろ上司の意見を否定するほうが、世間体的にはNGになる。だから「これまでもやってきたことだし、これがうちの会社のやり方だから」と社内方針を伝えられれば、日本人はそちらに従ってしまう、ということです。


