半径10メートルの人間関係だけよければいい

【山口】「世間」って、言い換えると「共同体」のことなのかもしれません。自分の属している学校や会社、地域コミュニティのことを「共同体」と呼びますが、それはそのまま「世間」とも呼べる。それはどこまでいっても「社会」ではなく、いわば、「自分を起点とした半径10メートル範囲内の人間関係」のことに過ぎません。極めて身近な人間たちが、自分をどう思うか、それを気にすることが「世間体」となる。

日本には「国」と「共同体」はあるけれど、「社会」という概念は希薄だと、僕はずっと思ってきたんですが、その謎が少し解けました。

【茂木】SNSを中心としたバッシングなんかもそうだよね。芸能人が何かしでかした、政治家がうっかり失言をした。それらは広く「社会」にとってはどうでもいいことだけど、「世間」にとっては看過できない、だからバッシングするという構造です。

「プライベート」と「パブリック」の区別がつかない日本人

【山口】なぜ日本には「社会」の概念が希薄か。やはり歴史の中で自分たちが勝ち取ってきた概念ではないからです。フランス人やアメリカ人は、自由や平等といった概念を非常に大切にしていますが、それはやはり彼らが歴史の中で、革命や戦争を通じて、実際に自分たちの血を流しながら必死に獲得してきたからです。だからいまだにフランスで暴動が起きると、二言目には「フランス革命の時には〜」という言葉が飛び出してきたりする。こちらは「いつの話をしているの?」と一瞬ギョッとするけれど、彼らの中では「250年前の革命」があるから、いまの自分たちの権利があるという理屈なんですよね。

一方の日本は、「社会」や「パブリック」「民主主義」といった概念を、明治維新の頃に輸入してきています。一部の政治家やエリートが西欧に留学して、机上に学んできた概念をそのまま輸入してきているから、全然肌馴染みは良くないし、リアリティもない。だから21世紀のいまも、僕らは本当の意味で「プライベート」と「パブリック」の区別がついていません。