ハーンにとって最大の理解者

錦織のモデルになった人物は西田千太郎という。文久2年(1862)に松江藩士の長男に生まれ、セツの6歳年長で、レフカダ・ヘブンのモデルのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)より12歳若かった。

名立たる秀才で「大磐石」の異名をもち、松江中学校は退学しなければならなかったが、よほど優秀だったのだろう。退学後に同校の授業助手を任されている。その後、東京に遊学し、文部省の中等教員検定試験に合格。姫路や香川で教えたのちにまた東京に行くが、地元に請われて明治21年(1888)、島根県尋常中学校の教頭として迎えられた。その2年後、同校の英語教師にハーンを迎え入れている。