※本稿は、クリスティアン・リュック『人はなぜ自分を殺すのか』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
ある日、16歳の息子から届いたメッセージ
“パパ、愛してるよ。何もかもありがとう。でももう無理。ごめん”
16歳の息子ヨハンからそんなSMSが届いた。父親はまじまじと携帯電話の画面を見つめた。そこに書かれていることを必死で理解しようとする。身体にパニックが湧き上がる。いったい何が起きているんだ――?
息子の携帯に電話するが、誰も出ない。アパートの中で妻の元に走る。まるで時間が止まったような感覚。心臓の鼓動1つ1つが大きく響く。「まさかヨハンは自殺しようとしているんじゃ……」そう言うと、ヨハンの母親の目にも恐怖が宿った。声。緊急通報番号。どうにか冷静に説明しようと努める。
「ええ、息子は最近精神状態が悪かったんです」「いや、どこにいるかはわかりません」
また息子の携帯にかけるが出ない。息子の親友の番号にもかける。彼もSMSを受け取っていた。“愛してるぜ、ブラザー。これからもずっと親友だ。強く生きると約束してくれ♥”絶対に息子を死なせたくない。他のことはどうでもいい、あの子が死ぬのだけはなんとしても――。
我が子が遺体で見つかった
親友に送られた写真が居所の手がかりになった。警察がヨハンの携帯を探知したのも同じ場所だった。子供の頃からよくクライミングに行った自然公園だ。車に飛び乗る。
こんなに動揺していても運転できるものなのか? 何度も何度も息子に電話をかけるがやはり応答はない。留守電につながるだけ。ヨハンはわざと子供の頃の留守電応答メッセージを使っていた。少年の明るい声、悲しみとは無縁な声が響く。
「もしもし、ヨハンです。今電話に出られないので、メッセージを残してください!」
クライミングの山に近づくと消防隊、救急車、警察が到着していた。周辺を捜索している。まさか死んではいないはず。まだ手遅れじゃない。きっと何かの誤解で――。そう、きっと自分たちが誤解しただけだ。警察の捜索指揮官に「ヨハンがいそうな場所に心当たりはありませんか」と訊かれる。ああ、そうだ。ヨハンは見晴らしのいい崖がお気に入りだった。そこで考え事をしたりしていた。無我夢中で森の中を走る。しかし途中で警官に止められた。
その表情から、何もかも手遅れだったことを理解した。遺体が見つかったのだ。若い男性の遺体。「見ない方がいいです。どうぞこちらに」

