1年間学び続けられれば、ビジネスに必要な英語力は習得できる。語学は人に習うものではなく、自分自身で身につけるもの。とくに英語は、誰もが学生時代に基礎を学んでいる。留学はもちろん、語学学校も必要ない。そもそも外国人講師に頼ろうという発想が間違っている。

<strong>作家 黒木 亮</strong>●1957年生まれ。早稲田大学法学部卒業。大学時代、箱根駅伝に2回出場。都市銀行、証券会社などに23年余り勤務。英国在住。近著は『冬の喝采』。
作家 黒木 亮●1957年生まれ。早稲田大学法学部卒業。大学時代、箱根駅伝に2回出場。都市銀行、証券会社などに23年余り勤務。英国在住。近著は『冬の喝采』。

銀行に入って間もないころ、支店にアメリカ人夫婦が訪ねてきたことがあった。それまで外国人と話した経験は皆無だったが、2人しかいない大卒行員のうちの1人ということで私が対応した。不安をよそに会話はスムーズに進んだ。その後、電話での問い合わせにも問題なく対応できた。自分の方法論の正しさを実感した瞬間だった。

大学では体育局競走部に所属し、箱根駅伝に2回出場するなど練習に打ち込んだが、勉強も疎かにはしたくなかった。将来のため英語を勉強しようと考え、「1日30分を3カ月続ければ話せるようになる」という触れ込みを信じ、当時3万円ほどの「リンガフォン」という教材を使い始めた。疲れ果ててテープを聞きながら寝てしまう日もあったが、箱根駅伝を走った日を含め、卒業するまでほぼ毎日続けた。

私にとって「1日30分」というノルマは必ずクリアできるものだった。語学習得のためには、「これがやれなかったら恥ずかしい」と思えるほど目標を低くし、続けることが重要だ。最初から全力疾走をしていると、長距離は走りきれない。遅くてもいいから完走することだ。

途中で挫折しがちな人は、学ぶ目的があいまいなのではないか。私は、英語以外にもドイツ語、アラビア語、ロシア語、ベトナム語の会話ができる。現地で学習した言葉もあるが、勉強の中心はテキストとテープの教材である。ビジネスで滞在する、小説の舞台として描く、いずれにしろ現地を理解するために言語の習得は欠かせない。語学を実際の「仕事」に使うようにすると勉強にも力が入る。何のために語学を学ぶかを明確にしておくことは重要だ。語学習得に必要な膨大な時間と労力を他の目的に使ったほうがよほどいい場合も少なくない。

入行して5年目、私はエジプト・カイロに留学した。当時、カイロには企業派遣の留学生が70人ほどいた。彼らの多くは「将来のビジネスに繋げるため」とゴルフに励んでいた。朝から晩までアラビア語と格闘している私は「変わった奴」だと思われていた。しかし、人目を気にして周囲に合わせていたら、人と同じか、それ以下にしかならない。私は雑音を無視して勉強に打ち込み、通常2年かかるアラビア語上級コースを1年で修了し、2年目からは大学院に進み、通常2年かかる修士課程を1年で終えた。企業派遣の留学生で大学院まで出たのは、私ひとりだった。

1つの語学をマスターすると情報量が桁違いに増える。とくに英語は重要だ。ネットで検索してもヒット数は日本語の10倍以上にもなる。また、欧米の新聞記事や論文は内容が濃い。

日本語しか解さない人は、鍵穴から世界を覗き込んでいるようなものだ。無駄な時間はいくらでもある。酒は最たるものだ。せめて飲む時間の半分でも、語学習得に向けてはどうだろうか。

(構成=山川 徹)