品川女子学院は、都内でも屈指の人気を誇る中高一貫校。文部科学省によるスーパーグローバルハイスクール指定校にもなっている。学校行事は生徒が企画・運営し、また企業と商品開発を行うなど総合学習も充実していることで知られる。

しかし実は今から30年近く前、同校は存続の危機にあった。奇跡のV字回復を果たした理由は何だったのか。その立役者である漆紫穂子校長に、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄准教授が話を聞いた。

▼KEYWORD 第二創業
品川女子学院 漆紫穂子校長

「生まれる前から選んでいたのかと思うほど、教員になることしか考えていなかった。最初の記憶は保育園。先生が子どもたちにいろんな接し方をするのを見て、『私が先生だったらこうするな』という目線で考えていました」。教育者と経営者、どちらの感覚が強いかという私の質問に、漆さんはそう答えました。

同校の創設者、漆雅子さんは曾祖母。父親が5代目校長で、母親が経営を担っていました。家族を通じて経営の大変さを見てきた漆さんは、「学校経営」には関わりたくないと思っていたそうです。しかし、国語教師として都内の私立校に勤めて3年目のある日、東京都が作成した「廃校危険度ランキング」の上位に品川女子学院の名前があることを知ります。さらに、母親ががんで余命宣告を受けました。そこで漆さんは1989年、28歳で品川女子学院に入り、学校経営を継ぐことを決めたのです。「ある年の中学の入学希望者は5人。学習塾に品川女子学院の志願者がいなくて偏差値はなかった」。まさに、どん底からのスタートでした。

窮地を救う力になる「知の探索」

そこで漆さんが最初に始めたのは、とにかく人に話を聞くこと。これは、いわゆる「知の探索」です。人は認知に限界があり、ごく周辺しか見えません。いろいろな人から話を聞くことで新しい気づきを得るのです。例えば漆さんは学習塾を訪ね、どうしたら生徒に勧めたい学校になれるのかを聞いて回りました。生徒には「この学校のどこが良くないか」「どうしたらこの学校に誇りを持てるのか」と聞き、改革を成功させたという学校にも積極的に足を運びました。そうして品川女子学院の課題に気づき、改革にのり出します。

しかしオーナー家の後継者とはいえ、20代教師の改革案を、ベテラン教員たちがすんなり聞くはずはありません。生意気と思われ、「3年間は意見を言うな」とまで言われたそうです。学校の経営効率を高めようとすれば、教師やPTAの反発も受けました。「経営者になって、教師の心を忘れたんじゃないですか」と言われてショックを受けたこともあったそうです。