日本の男性は「ほめるのは下手」なくせに、実は人一倍「ほめられたい」生き物である。コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子さんは、「男はプライドの生き物。『すごい』『ありがとう』『こんなの初めて』という『3つの言葉』で転がせる」という。その背景には女性に比べて男性は「ほめられづらい」という「絶望的な格差」の存在がある――。

*本稿は、岡本純子著『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)の第4章「オジサンたちのコミュ力の“貧困”」の一部を再編集したものです。

日本人は「ほめる」のも「ほめられる」のも下手クソ

アメリカ人などと比べると、日本人は基本的に「ほめ下手」だ。

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アメリカは、子供のころからとにかくほめて育てる文化なので、「子供をほめる100の言葉」といったリストが山ほどあり、例えば、日本語の「すごい」「素晴らしい」だけで、Super、Fabulous、Fantastic、Terrific、Awesome、Marvelous、Brilliant、Great、Excellent、Amazing、Wonderfulなど、ゆうに50種類以上の言い方がある。

キリスト教には「神をたたえる、賛美する」という習慣があり、お祈りや讃美歌などでも、ほめて、ほめて、ほめまくる。「あなたは偉大」「あなたを崇めます」「あなたこそ真の王」など、延々と続く礼賛の言葉。そうした文化においては人を称賛することへの抵抗感はあまりないのかもしれない。

日常生活でも、お互いをひたすら、ほめ合っている。

「その服、素敵ね、どこで買ったの」「なんてきれいな髪」「似合っているね」など、スムーズに次から次へと人を喜ばせる言葉が出てくる。それがお世辞だと分かっていても、聞くほうは何となく気分がよくなるし、会話もはずむ。

職場も同様だ。アメリカの会社の職場でのコミュニケーションを観察していると、絶えず、社員同士が「ほめあい」「認め合っている」。「Great work(素晴らしい仕事ぶりだね)」、「ありがとう」「感心するよ」。常に細かく声を掛け合い、お互いの存在価値を認め合う。「ほめ言葉」はコミュニケーションの最高の潤滑油なのだ。

▼「欧米流のほめ育てが挫折に弱い若者を生み出した」

その点、日本人は「お世辞」「社交辞令」「おべっか」「二枚舌」などと否定的な言葉で表現するように、ほめること自体を、表面的で上っ面だけの行為のようにとらえているところがある。

口がうまい奴は信頼できない、何か裏がある、という通念もあってか、特に男性は「ほめること」をためらいがちだ。やたら、ほめる奴は、「軽率」「ちゃらい」というマッチョな「偏見」もはびこっている。「日本はほめない文化なのだから仕方ない」と言い訳をしたり、「欧米流のほめ育てが挫折に弱い日本の若者を生み出している」「ほめ過ぎはよくない」などといった説も喧伝されたりする。

もちろん、ほめ過ぎは問題だが、そもそも、ほめることがDNAに組み込まれていない日本人が、どんなにほめたところで、過ぎることなどない。日本の“ほめ力GDP”は世界水準よりダントツに低く、絶望的な「飢餓」状態にあるといってもいい。「ほめ過ぎ」より、「ほめなさ過ぎ」のほうが100倍問題なのである。