大胆かつ繊細、未来志向、自分は運がいいと考えている。お金に愛される人だけが知るルールがある。ここでは、アジアを活躍の舞台に選んだ5人を事例に、黄金法則を確認しよう。普通のビジネスマンだった彼らは、どのように考え、行動して、成功への階段を上がったのか。

国際会計事務所SCSグローバルはシンガポールをはじめアジアを中心に自社7拠点、ジョイントベンチャー4拠点でサービスを展開する会計とコンサルティングの専門家集団だ。会計士の1人でもある少徳健一は大手電機メーカー勤務の父の赴任で、約6年をアメリカで過ごした。

SCSグローバル グループ代表 
少徳 健一氏

「小学4年生からニュージャージーに住んでいました。私だけ高校進学のために日本に帰国したのですが、今度は親がマレーシア駐在に。最初はアジアというと汚いところというイメージしかなかったのに、夏休みに両親のところに遊びに行くと、みんな優しくして、街もきれい。すっかり好きになりました」

付属の高校から大学へ進学。学生時代はあらゆるアルバイトを体験した。戦略系のコンサルタントになるつもりでコンサルティング会社に就職するが、わずか半年で退社。会社が分裂し、システムの部署に配属されたのも一因だった。

「辞めた会社に会計士の人がいて、そういう仕事があることを初めて知りました。合格したのはタイミングもあった。運がよかったと思います。それまで論文式の試験だったのが、私が受験した年から論文式と短答式の両方になった。それで合格できたようなものです。当時、会計士は就職難でしたが、英語が話せたおかげでアーサー・アンダーセンに就職することもできました。

アンダーセンは人をこき使うので有名でした。逆にいうと1年目からいろいろやらせてもらえるので、使える人は2、3年でものすごい売り上げをあげるようになります。私もそうでした。いま考えると馬鹿ですが、自分に勝てるやつはいないと本気で思っていました。

あのころは会計の知識があっても、英語で突っ込んだ交渉ができる人間がほかにいなかった。ところが外資系なのに待遇だけはドメスティックで、かなりの額を稼いでも年収は400万円。ほんとうに嫌なやつで、上司に土下座させたこともありました」