「男系男子」の背景にある「男尊女卑」

明治の皇室典範でも、草案の段階では女性天皇や女系天皇を認める複数のプランがあった(明治9年[1876年]の元老院「日本国憲按」、明治13年[1880年]の元老院「国憲草案」、明治19年[1886年]の宮内省「皇室制規」)。

それを男系男子限定に誘導したのは、伊藤博文のブレーンだった井上毅だ。

彼がまとめた「謹具意見」(明治19年[1886年])の影響が決定的だった。そこには、女性天皇を排除する次のような意見が載せられていた(沼間守一の発言)。

「男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿(女性天皇の配偶者)を置くの不可なるは多弁を費すを要せざるべし」

明治典範で「男系男子」限定ルールが採用された背景には、明らかに当時の男尊女卑の風潮があった事実を認めなければならない。

女性には参政権が認められず、女性にだけ姦通罪が適用された事実が示すような、女性差別が当たり前だった古い時代のルールを、無批判にそのまま踏襲したのが、現在の皇室典範だ。

だから、国連の女性差別撤廃委員会が女性差別の解消を勧告したのも、当然の理由があった。

恥ずべき女性差別を皇室の伝統と錯覚してはならない。

国際的に特異な「男系男子」

現代の国際社会において、「一夫一婦制」のもとで君主の地位の継承資格を男系男子に限定している特異な国は、ほぼ存在しない。

人口が4万人弱で国土面積は日本の小豆島とほぼ同じという、ミニ国家のリヒテンシュタイン公国(同国の君主の称号は、公用語のドイツ語では「王」より下位の「公爵」よりさらに下位のフュルスト=「侯爵」だから、侯国と呼ぶべきとの意見もある)を除くと、日本だけだ。

男女を問わず「長子優先」というルールが最もオーソドックスな制度なので、女性の継承資格を認めながら男子優先のルールを例外的に採用するスペインは、女性差別的と非難されている(ただし次の王位を継承するのは現国王フェリペ6世とレティシア王妃の長女、レオノール王女)。

日本の皇室典範は、スペインのような男子優先という優先順序レベルの話ではなく、男子“限定”、つまり女性を100%排除している。はるかに差別的だ。

だから残念ながら、この点について世界から「男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する」未開・野蛮な国と見られても、仕方がないだろう。

しかし日本国民の多くは、先に掲げた世論調査の結果に示されているように、女性天皇を認めている。だから政府・国会の無為・怠慢のせいで、国際社会においてとんだ恥をかかされていることになる。

そして何よりも、その怠慢こそが皇室の方々に「男子を生め」というプレッシャーをかけ続けているのだ。