たかまつ 不登校になったのは大阪にいた頃で、今は沖縄在住ですよね。

ゆたぼん そうです。不登校になってすぐ、沖縄サドベリースクールというフリースクールの見学がてら、家族全員で沖縄旅行に行きました。そこは宿題もないし、時間割も自分で決める学校で自分にぴったりだった。それで家族会議で話し合って、沖縄に移住することに決まりました。僕が小4の時ですね。

たかまつ そのフリースクールには、通っていたんですか?

ゆたぼん 結局、行きませんでした。ホームスクーリングも出来たので、家で勉強しても同じだと思って。地元の小学校には、時々給食の時間だけ行っていました。

たかまつ 地元の小学校は、不登校の事情を理解してくれていたんですか。

ゆたぼん 沖縄に引っ越してくるときに、大阪でこういうことがあったと話してあったんで、そこは理解してくれていたと思います。友達もできました。近所の公園で遊んでいたら、声をかけてきた子が同じ学年だと分かって、それから時々一緒に遊ぶようになりました。

「普通に学校に行っていたらゆたぼんは存在しないと思うし」

たかまつ 「少年革命家」と名乗ったのは沖縄にいた小学校5年の時ですよね。

ゆたぼん 不登校でも活躍できるのを見せたかった。ボクシングやったり、日本一周したり、ロボット発言で炎上したせいでメディアにもたくさん取り上げられ、注目されるようにもなったし。

たかまつ それはもしかすると学校ではできない経験かもしれないですね。

ゆたぼん そう。普通に学校に行っていたらゆたぼんは存在しないと思うし、有名人とのYouTubeコラボとかもできなかっただろうし、不登校は全然後悔していないです。むしろ良かったと思っています。

たかまつ ゆたぼんさんがSNSで発信するたびに「学校へ行け」という批判はかなり届いたと思います。親が不登校を推奨していると捉えて、児童虐待じゃないかというバッシングもありました。そんな批判に対しどう思われていましたか。

ゆたぼん 気持悪~って思いましたね。僕は親の言うことばかり聞いてきたわけじゃないし、自分なりに信念を持って発信してきたつもりだし、そもそも親の言うことばかり聞いて行動していたら、ここまでは来ていないです。

炎上が一番大きかったのは初めて琉球新報に掲載された時で、学校に行けという同調圧力が凄かったけど、ダルビッシュ有さんや茂木健一郎先生に「批判はスルーしていい」って励ましていただいて凄く嬉しかったですね。それが縁で、茂木先生はYouTubeにも出てくれました。