教育の産業化を進める日本の向かう先

日本では、教科教育学と呼ばれる分野がペダゴジーに近いかもしれないが、どの程度、実際の教育で使われているだろうか。日本の学校に明確なペダゴジーはなく、繰り返し学習や暗記、叱責、集団主義教育などがその代わりになっているようだ。

これは、フィンランドでは小中学校の先生が修士号を持っていることとの大きな違いだ。1979年に小中高校の先生に修士号が義務付けられた。

最近、日本では教員不足が深刻になり、教員免許を持たない社会人や大学3年生でも学校で教えられる自治体もある。教育の質の低下をもたらしかねないことが懸念される。

こうした状況の中、日本の文科省は最近「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく育成する個別最適な学び」を提唱している。

「個別最適な学び」とは、「主体的・対話的で深い学び」の実現のために「ICT環境を最大活用し」、生徒一人ひとりの理解力や個性に応じて最適化させた学習を意味する。大きな変化が起きているように聞こえるが、クラスの人数を減らす考えはない。

実は、「個別最適化」は「産学官連携」体制によって教育産業としてビジネス化したり、税金から収益を得る巨額の市場を創出したりする意図を持っている。

例としては、文科省のEdTech(科学技術を活用した教育)やGIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想、また東京都教育委員会の体験型英語学習施設(Tokyo Global Gateway Greensprings)、高校受験での英語スピーキングテスト(ESAT-J)などがある。

教育産業のビジネス化や新自由主義的な教育は、フィンランドの教育とは全く異質なものだ。平等や無償、少人数クラス、ICT環境など基本的な条件は整わないまま、教育の産業化を進める日本は、どこに向かおうとするのだろうか。

化粧、アクセサリー…装いを通じて自分を表現する

日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。寒くてもコートを着てはいけない、タイツを履いてはいけない、学校から帰宅後、午後4時までは自宅から外出してはいけないなど驚くような校則もある。

最近は「ブラック校則」として問題化され、生徒が取り組む校則の改訂が話題になる。「全国校則一覧」というサイトが作られ、様々な「ブラック校則」を検索することもできる。

一方、フィンランドの学校に日本のような校則はない。子どもを一人の人として尊重すること、子どもが自分の身体について決定権を持つことは当然のことだからだ。後で見るが、子どもの権利の視点からも、大人による校則の押し付けは不適当である。

フィンランドの学校では18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由だ。様々な装い方を試みること、自分の身体のあり方を経験すること、装いを通じて自分を表現すること。それらは全て、自分であることの一部だ。

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