「法に触れない言論の自由」

私が今回の司法・治安機関の暴走を危惧するのは、それが私利私欲のために発揮されているという点でした。最悪といわれた戦前の東条内閣の憲兵隊による国家全体への監視体制の中でさえ、司法機関は相当慎重な態度をとっていました。

東条内閣倒閣に動き、結局非業の割腹自殺を遂げた中野正剛という政治家がいました。彼は1943年の元旦、古巣の朝日新聞に「戦時宰相論」という論文をかきました。中身は、東条英機首相を名指したものでさえありません。しかし東条は、政敵・中野(彼は東条による大政翼賛会に所属せず当選した数少ない議員の一人でした)のこの論文が気に障ったらしく、以降、中野の言動を見張り、治安紊乱罪に問えないかと、逮捕を治安機関全員に相談しました。

ところが、中野の起訴を指示された検事総長・松阪広政は、中野の言動は大日本帝国憲法第29条による「法に触れない言論の自由」の範囲内に収まっているとして、「こんな証拠ではとても起訴はできない」と反論したのです。

また、中野を議会出席停止させるよう東條に呼び出された国務大臣の大麻唯男(東條のイエスマンとして議会統制をおこなっていた)も「憲法上の立法府の独立を侵害しかねないのでできません」と反論しました。中野の国会登壇によって自分に対する弾劾をおそれた東条は、憲兵隊という行政組織に命じて、中野を拘束します。そして、拘束した上で、国会開院前に勾留したいと判事に要求しました。しかし、憲兵隊といえども、逮捕状は裁判官の令状執行が必要です。しかも、国会議員には国会会期中には不逮捕特権があります。国会は召集されているが開院式までは時間があるという場合があり、この時も召集はされていても、開院式はまだという状態でしたから、不逮捕特権が適用されるか微妙な状態でした。