投資トラブルを起こした木本に札束を…

「なんで、こんなことになってしまったんや」

2022年の8月のある日、木下から連絡があって、久しぶりに再会しました。僕の家では難しかったので、近所の知人宅に来てもらったのです。本当に久しぶりに対面して、とりとめない話をしました。僕の謝罪の言葉も、木下はなにもいわずに受け止めてくれました。そんな再会の終わりに、彼は封筒をさっと取り出し、それをテーブルに置いて去って行きました。

「なんの足しにもならんかもしれんけど、とにかく生活の足しにしてくれ」

という言葉だけを残して……。

写真=iStock.com/Asobinin

そこには厚い札束が入っていました。コンビを組んでから、初めて彼が僕に「お金」を残していったのです。僕はなにもいえずに立ちすくんでいました。そしてある確信に至ったのです。

「木下だけは失ったらあかん」

僕は自分が招いた投資トラブルによって、木本武宏として積み上げていたさまざまなものが詰まった“パンドラの箱”が開いてしまいました。僕が築いてきたすべての信用が箱から飛んでいってしまったと諦めていました。でも、箱の底には「木下という希望」が残っていた。

木下からもらった封筒は、いまも手つかずで僕の自宅の神棚にあります。

自由に生きる木下にいつの間にか嫉妬していた

僕の人生に「かけがえのない存在」が木下であることを再認識しましたが、それ以前はもうひとつ別の感情があったことに気づきました。

それは「嫉妬」です。

天真爛漫で、自由に生きている木下に対して、どこかで嫉妬していたのです。なぜなら、木下がとても楽しそうだから。「お前は自由に生きろ」と僕自身が焚きつけていたにもかかわらず、自分でも無意識のうちに嫉妬心が芽生えていました。

ほんまにちっさい男です、僕は。

木下は4人きょうだいの末っ子として、兄姉からチヤホヤされて育ちました。その上、ご両親からも溺愛されていた。そのせいでしょうか、自分がしぜんと輪の中心にいる環境にいました。それが木下のよさなので、イジリづらいところがありました。

芸人である以上、どんな形でイジられようと、それを受け止めて笑いに変えなければいけないのですが、「イジられなれていない男」という一面が木下の中に厳然と存在していました。

ペットボトル投げつけ事件も、特に後輩からイジられなれていない木下がパニックになってしまった故の、反射的行動だったと思っています。ですから、木下の感情をコントロールする難しさは、コンビ結成以来、僕や事務所スタッフの永遠のテーマでした。