彼の著書『パチプロ編集長』(光文社)に当時の回想がある。もともと〈パチンコを昼間っからやっているような堕落した「大衆」が嫌い〉だった彼は、編集長を務めるエロ雑誌が警視庁にわいせつ図画とみなされ発禁になると何もすることがなくなり、ぽっかりと心に穴が空いて魔が差したのか、それまで〈怖い場所〉だと思っていたパチンコ屋に入る。

そのとき末井は1800円ほど勝つ。会社の給料も銀行に振り込まれるようになるなど、カネを稼ぐことの実感が失われた時代に、彼はパチンコでそれを得た。するとそれまで〈堕落した人間〉のやることと思っていたパチンコに目覚め、来る日も来る日も打ちに行くようになり、さらには専門誌の創刊までしてしまうのだった。

〈社会から取り残されたような気持ちは、おそらくパチンコをやってる人なら誰でももっているのではないだろうか〉と末井は記す。冒頭のトリプルファイヤー・吉田の言葉と重なるものだ。

なぜパチンコを打つ人はパチンコ雑誌を買ってしまうのか

おまけに世間はパチンコに興じる人たちに冷たい。それどころか平気で「下層」とみなしさえする。階級の「断絶」を問題にするリベラルな者も、得てして不健全なものを許さない気質にあるため、断絶の向こう側にいるパチンコ愛好家を蔑視しがちだ。

たとえばコロナ禍の2020年、ステイホームの掛け声のもとで「巣ごもり」を楽しむ者がいる一方で、暇を持て余してパチンコ屋に向かった人たちもいる。彼ら/彼女らを良識で生きる人たちは徹底的に叩いた。相手は「パチンカス」である。叩けば共感が得られやすく、叩いても咎められることもない。

しかし末井は、断絶の向こう側に自ら入り込んだ。〈あんなにうるさかった騒音も、逆に気持ちいいものになってくる。できれば、ずっとここにいたいと思うようになる〉のであった。

パチンコ中毒者を自称する末井が創刊したパチンコ雑誌は売れに売れた。10万部で創刊し、後に50万部以上にまでなる。彼は当時を『100歳まで生きてどうするんですか?』(中央公論新社)のなかで次のように述懐している。

〈ぼくのようにパチンコがやめられなくなった人が、一日中パチンコを打ってしまい、気が付いたら閉店の時間になっていて、負けてとぼとぼと家路に向かっていたとします。「ああ、オレ、何やってんだろう」と思いながら、缶コーヒーを買いにコンビニに寄り、雑誌ラックを見ると『パチンコ必勝ガイド』という雑誌があったとしたら「それは買うでしょう」と思ったのでした〉

わかるようでわからない心性であるが、末井はこう続ける。

〈この説明では、なぜその人がパチンコ雑誌を買うかということを理解してもらえないかもしれませんが、パチンコを打つ人の「疚(やま)しさ、虚しさ、寂しさ」が、その雑誌で慰められるからです。マーケティングという抽象的なことではなく、パチンコを打つ人だけが感じているリアリティです〉