祇園祭の華やかな飾りつけは安土桃山時代から

次は毎年京都でおこなわれる祇園祭について考えてみよう。真夏の古都を1カ月にわたって彩るこの祭りには1200年近い伝統があるといわれている。869年に京都で疫病が流行したとき、それを封じ込めるために66本の鉾を立てて、素戔嗚尊すさのおのみことの化身とされる牛頭天王ごずてんのうを祀ったのがはじまりとされる。その後、応仁・文明の乱(1467~77)がおこり巡行は途絶するが1500年に再興された。

重要なのは現在のように鉾が豪華絢爛に飾り付けられるようになったのが安土桃山時代から江戸時代にかけて、ということだろう。それまでは華やかな飾り付けは物理的にできなかった。貿易が活発化して輸入品が流通するようになって加飾されるようになったのだ。

祇園祭という伝統と文化は原初の様式を堅固に保存しているが、過去から現在に至るまで途切れることなく続いてきたわけではない。長期間にわたる中断を含みつつ、そのプロセスで何度も姿かたちを変化させながら現在に至っているのである。

写真=時事通信フォト
祇園祭・後祭(あとまつり)の山鉾(やまほこ)巡行で、196年ぶりに復帰した「鷹山」=2022年7月24日、京都市内

高知の「よさこい祭り」ができたのは1954年

これは祇園祭に限ったことではない。他でも類似の過程は確認できる。

高知のよさこい祭りも近年の発明品だ。誕生したのは江戸時代でも明治時代でもない。なんと第二次世界大戦後の1954年のことである。当時、隣の徳島県で人気沸騰していた阿波踊りにあやかって、高知でも同様の祭りをしようという気運が高まった。それによって県民と地域経済を活気づける狙いもあった。

祭りは先祖崇拝、五穀豊穣、疫病や災害の予防・救済を願うものとして始まったケースが多いが、よさこいにはそのようなバックグラウンドは一切ない。阿波踊りに熱狂する隣県を模して、思惑を持って創られたのだ。

祭りは1992年に北海道に「輸出」され、現地で「YOSAKOIソーラン祭り」に再創造されたのをきっかけにして、全国展開されるようになっていった。