事前能力よりも事後能力
生産システムを進化論的・発生論的な視点で考えることがなぜ大切なのか。藤本さん自身の言葉を借りれば、「事後的に観察される競争合理性が必ずしも事前合理的な意思決定を前提としない」からだ。つまり、特定少数のスーパー経営者の計画や意思決定が競争力をもたらしたのではなく、ある意思決定の後で複雑な相互作用が起こり、それが結果的に他者には真似できない能力のシステムとして結実したという見方である。この種の事前に決定したり計画したり予測することが困難なシステムの構築・進化のプロセスを「システム創発」と呼ぶ。トヨタ生産システムを題材に、システム創発のプロセスを細部に至るまで徹底的に解明しよう、というのがこの本のスタンスだ。
組織のもつ能力には事前能力と事後能力がある。事前の合理性と事後的な合理性といってもいい。実行とか試行が行われる前に、目的関数や制約条件が一通り吟味され、比較検討され、その結果として採用するべきオプションが選択され、意思決定が行われる。これが事前の合理性だ。これに対して、事後的な合理性の世界では、既に何らかの理由で、あることが行われている。その後、事後的に目的関数などの情報が与えられ、合理的な行動としての意味づけが後づけでなされたり、活動の修正が行われる。進化論的な立場に立つ本書では、事前能力よりも事後能力を重視し、そこに議論の焦点が置かれている。
ポジショニングか能力かという話に戻る。ポジショニングは典型的な事前能力による差別化であり、経営者の意思決定によるところが大きい。それに対して、能力構築は事後的な合理性でしか説明できない。これは何も経営学の世界だけではない。世の中のいたるところで普通にある話だ。
たとえば結婚。事前合理性で結婚するとなると、無数にいる結婚相手のオプションをあらゆる変数(身長とか体重とか髪型とか食べ物の好みとか趣味とか職業とか年収とか出身地とか……、キリがない)ごとに比較しつつ、階層的に選択を繰り返して、最も適切な相手を選ぶという話になる。いうまでもなく、こんなことは不可能だ。だから、普通は「とりあえずこいつと結婚するか」程度の、十分に合理的とはいえない理由で一緒になる。これが藤本さんのいう「ある制約により特定のシステムを取ることを余儀なくされる」状態にあたる。
その結婚生活が幸せなものになるかどうかは、当然のことながら結婚の意思決定の後に延々と続く日々の生活のありようにかかっている。結婚生活の成否は事後能力によるところが90%以上といってもいいと思う。無理して事前合理性で押し切ろうとすると、かえって不幸な結婚になる。ちょっとうまくいかないと、結婚相手の選択が間違っていたという話なる。で、離婚する。また事前合理性をよりどころに再婚。すぐに破綻して離婚、という具合に結婚と離婚を繰り返すことになりかねない。
就職とかキャリア形成もまた創発プロセスとして理解できる。事前合理性には限界がある。事前にあらゆる職業オプションを比較検討して、自分にとってベストな仕事を選択できるわけがない。この連載の第22回と23回でとりあげた『映画はやくざなり』(>>記事はこちら)の著者笠原和夫さんにしても、そもそも劇作家を目指していたわけではなかった。偶然と必然が絡み合う中でシナリオライターになり、思ってもみなかった任侠映画の第一人者となった。笠原さんのキャリア形成は(少なくとも客観的には)大成功の部類に入るが、事後合理性でしか説明がつかない。