新生児を抱えて野宿の日々

「私の場合は、ちょっと特殊で」と照子さんは言うが、ちょっとどころか、照子さんのような状況で出産した女性を私は他に知らない。

大学生のときに男性と出奔、大阪・西成のドヤ街などで、野宿生活をする中での妊娠だった。

子どもの父親は日雇い労働をたまにする程度で、普段は働かないため、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所にすら泊まれないし、産婦人科にかかる金もない。

「お腹が大きくてふらふらしていたら、親切な方が自宅に泊めてくれた。そしたら翌朝、赤ちゃんがバーッと出てきたんです。産んだというより、勝手に飛び出したって感じ」

まさに、奇跡の出産だ。その家には迷惑をかけられないと、産後3日目から新生児を抱えての野宿生活。季節は冬だ。この時点でも病院には行っていないし、子どもの出生届も出していない。

「赤ちゃんを抱っこして、体育座りをして寝るという、半端なホームレスです。他の皆さんは段ボールを調達して、布団をかけて寝ているでしょう? その調達もできないんです。若かったから、できたんでしょうね」

なぜ、子どもの父親は新生児と産婦に屋根のある暮らしを保障しなかったのか。働けばいいだけの話なのに。それでも照子さんは、その男と一緒にいた。

写真=iStock.com/redhumv
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2年後にまた、妊娠した。奇跡はそうそう起こらない。この日だと思ったときに、なけなしの金で1泊5000円のホテルに宿泊、布団の上にビニールシートを敷いて、そこで産んだ。

「そもそも、お医者さんに診てもらっていないので、妊娠何週なのかもわからない。自分の身体で、何となくこの日かなと思って。だから、自力出産というやつです」

手元に残ったのは500円のみ、新生児を抱えての野宿の日々が始まった。上の子の服を幾重にも重ねておくるみにして、寒さ対策とした。

「『赤ちゃん、どうだろう?』って、すごく心配でした。母子3人で、凍え死ぬってこともあり得るなって。子どもが何とか、死なないでいてくれた感じです」

ホームレス生活5年目を迎えた頃、男とはぐれてしまい、照子さんは実家に戻る。子どもを育てるには、それしかなかったからだ。