戦後は皇室の衣食住に注意が払われていた

<今後は教育上の点より望ましき事も、それらの点で不満を世に与へる事は差控える事も考えますと申上ぐ>

不満を世に与へる――これこそが、今と『昭和天皇拝謁記』をつなぐキーワードだろう。象徴天皇制にあって、「世=国民」の不満は絶対に避けねばならないものだ。

満足に食べられない国民がいた『拝謁記』の頃、第一に注意すべきは衣食住に関するものだという理解だったろう。だから昭和天皇は、自分自身の御用邸利用にもセンシティブだった。<葉山に居ればどうしても採集に出るがそれはどうだとの仰せ故、(略)安心感を国民にむしろ与へるので御よろしいと存じます、と申上ぐ>(1950年7月27日)。昭和天皇は特に相模湾の生物を専門にしていた。衣食住足りてこその趣味だとわかっているから、こういう発言になる。

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一方で、皇太子さまが受ける教育は「不満を世に与へる事」にはならなかった。というよりは、国民の興味の対象でなかったのではないだろうか。だから国民の反応を気にすることなく、将来の天皇への教育がどうあるべきかだけを考えられた。

昭和から平成を経て、令和になり、悠仁さまの筑附進学は「世」に不満を与えた。「世」が変わり、そこに生きる「国民」が変わった。国民の質が均一でなくなったことが大きいと思う。国民がみんな貧しかった頃の皇室と、国民が格差社会を生きる時代の皇室。

悠仁さまには受けたい大学を受けてほしいが…

悠仁さまの筑附進学は、公正な競争でないと批判された。となると、3年後、大学受験でも同様に「公正な競争」の議論が起こるだろうか。個人的には、受けたい大学を受ければよいと思う。それに「将来の天皇」が「国民」と公正に競争すべきと考えるなら、皇室とは何か、天皇とは何かを考えなくてはならないと思う。国民と全く対等な皇室、とは何か形容矛盾のようにも思えるのだ。

だが、今の空気はそういう議論より、「究極の親ガチャ」という言葉が力を持つ。皇室の歩む道が、格段に狭くなっている。

最後に『昭和天皇拝謁記』に戻る。皇太子さまの洋行についての記述をたどっていって驚くのは、「洋行は皇太子妃を決めてから」という前提があることだ。昭和天皇も田島氏も、皇太子さまが15歳の時からそういう話をしている。皇太子さま17歳の1951年7月29日、新聞2紙が「皇太子の結婚準備」について報道したのが皇太子妃報道の始まりで、田島氏は天皇に「単なる漠たる想像のやうな記事」と説明している(8月3日)。

皇太子さまは東大に行ってもいいし、結婚もしようと思えばすぐできる。天皇も宮内庁長官もそういう認識に立ち、そこに国民との齟齬そごもない。『昭和天皇拝謁記』はそういう世界を描いている。遠い遠い、夢のような時代だったと思う。

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