悠仁さまの筑附高進学はなぜ批判されたのか
現在2巻まで出ている『昭和天皇拝謁記1』(岩波書店)は、初代宮内庁長官・田島道治氏が昭和天皇に会うたびにとった克明なメモだ。昭和天皇の肉声が、皇室の過去と今をつないでくれる。
例えば2022年2月、秋篠宮家の長男悠仁さまが筑波大附属高校に合格、批判を招いた。皇族の進学先はどこがよいか。それを考えるテキストになる。
筑附進学への批判は主に二つ。①「提携校進学制度」での合格→公正な競争でないのではないか、②学習院以外の高校に進んだ戦後初の皇族→「帝王教育」はそれでいいのか。加えて最近は、「悠仁さまの東大進学が紀子さまの悲願」といった報道が目立つ。子が東大を目指し、母がそれを願ってはいけないのかと個人的には思うが、そうでない考えの人が大勢いることも承知している。
そこで『昭和天皇拝謁記1』。1950(昭和25)年9月1日の一節を紹介する。
<東宮ちやんは留学は兎に角、私は洋行は必要だと思ふ。私もいつて見聞を広め有益だつたと思ふ故、あゝいふ風に米英等にゆくといふことでいゝと思ふ。大学は南原総長の間は東大はいやだから、学習院の方がよいと思ふ。南原がやめた後なら東大でもよいが……云々仰せあり>
上皇さまの進学先は「東大でもいいが、今なら学習院」
「東宮ちやん」とは当時の皇太子さまで現在の上皇さま。その進学先について、「東大でもいいが、今なら学習院」と昭和天皇は言っている。ここまでの流れから、昭和天皇は皇太子さまの大学にはあまり興味がなく、洋行を強く望んでいることはわかっている。宮内庁も同様だ。同じ日の記述にこうある。
<東宮様御成年後は御洋行と大体決めて、御教育のことを進め来りましたが、MCの意見がViningに申した通りとしますれば、東大とか学習院大学とか或は御学問所とは申しませぬが、何かそのいふことが、大に今日より調査研究すべきかと存じます>
MCとはマッカーサー連合国軍最高司令官、Viningとは皇太子の英語家庭教師エリザベス・ヴァイニング。この米国人2人はよく会っていて、6月26日には<Viningが過日MC訪問の節、一寸東宮様go abroadの事を申せし処、非常に反対のやうにきいて居ります>という記述がある。
18歳という皇室典範が定めた皇太子さま成年後の進路は洋行と考えていたが、マッカーサーが反対している。それなら皇太子さまが16歳の今のうちに、進学へ舵を切る必要がある。それを天皇に告げたという経緯だったろう。進学先は、「東大とか学習院大学とか」。悠仁さまの筑附進学をめぐる大騒ぎを思うと、拍子抜けのような気分になる。