「支え合いの社会」か「自己責任社会」か
筆者が「立憲vs維新」の対立を重視するのは、両者の対立はつまり「支え合いの社会」(立憲)なのか「改革による自己責任社会」(維新)のどちらが、自民党に対峙する「政権の選択肢」であるべきか、という「目指す社会像の戦い」でもあるからだ。
衆院選は野党同士ではなく、与党と野党が「目指す社会像」をかけて政権を争う戦いであるべきだ。そして、自民党に代わる社会の選択肢は、平成の時代の古臭い「改革保守の自己責任社会」ではなく「支え合いの社会」であってほしいと筆者は思う。
せっかく「支え合いの社会」で政権の選択肢になる立場を手にしたのに、それを手放すきっかけを作ってしまうのか。再び「保守二大政党」の古い政治に戻すのか。今度の参院選で立憲民主党に問われているのは、そういうことではないか。
立憲民主党が自民党から政権を奪い、政権党として自らの手で「支え合いの社会」を実現したいなら、万年野党になりたくないなら、戦うべき時には戦い、相手を殴るべき時にはきちんと殴るべきだ。次期衆院選を見据えれば、立憲民主党が参院選に向けて今殴るべき相手は、維新なのではないか。維新と真剣にぶつかって勝ち抜き、野党の中核としての立場をさらに揺るぎないものとした上で次の衆院選に臨み、その時こそ自民党をしっかりと殴るべきだ。菅氏の騒動はそれを思い起こさせてくれたと思う。
もちろん、激しい空中戦にもなぎ倒されぬよう、地域にしっかりと根を張り「地力をつける」努力が、今の立憲民主党に何よりも必要であることは、改めて言うまでもない。