国民が高齢化しているから政治家も高齢化?
閣僚の平均年齢が高いのはそもそも国民の平均年齢が高いからとも考えられる。そこで国民と閣僚の平均年齢の相関図を掲げた(図表3)。
国民と閣僚の平均年齢には相関が見られる。すなわち、日本やドイツはそもそも国民の平均年齢が高いから閣僚の年齢も高い。アイスランド、ノルウェーは国民の平均年齢が低いから閣僚の年齢も低いという感じになっている。
一方、相関を示す図中の黄色の楕円から上のほうに外れた韓国、米国、チリ、イスラエル、メキシコ、チリのような国では、閣僚は国民の平均年齢以上に政治家として年季が入っていなくてはならないようだ。
日本と韓国は儒教国として年長者を敬う(敬わざるをえない)気風が残っていると思うが、日本の場合は韓国と比べるとかなりドライに処しているとも言えよう。
また、別の見方では、国民の平均年齢とはかかわりなく、それなりに激務である閣僚としての役割を果たすためには、平均の年齢上限として、日本、韓国、米国ぐらいの62歳前後の絶対年齢が存在しているのかもしれない。
為政者の高齢化で生じる不都合は本当に生じているか?
為政者の年齢が高くなると政策にもそれに対応したバイアスが生じるかどうかについては世界的に関心がもたれており、例えば、年金と教育のどちらが重視されているかが、先に掲げた閣僚の平均年齢に影響されているかについて、両者の相関の分析が別のOECD報告書でなされている(図表4)。
確かに、年金への公的支出が教育の公的支出をかなり超過しているイタリアやギリシャ、あるいは日本では閣僚の平均年齢が高いほうである。また、閣僚の平均年齢の低いアイスランドでは年金の超過度はかなり低い。
もっとも、閣僚の平均年齢の高い米国や韓国では教育に比して年金がそれほど重視されているわけではない。次世代のことを高齢閣僚も考えているのである。逆に、閣僚の平均年齢の若いオーストリアでは年金がかなり重視されている。まだ年金をもらう年齢から遠い閣僚でも将来のことは考えるのである。このように必ずしも相関度は高くない。