「子供を産む前の女の子が行く場所じゃないよ」と心配された
2018年4月に異動で愛知県へ戻った竹口にとっても、この給食センターでの経験は生涯忘れられないものとなった。
「もしあの職場に行かなかったら、私は地震のことなんてほとんど忘れたまま生きていたと思うんです」
栄養士として大熊町に行くことになったとき、彼女は職場の同僚から「大丈夫なの?」と心配されたものだった。「子供を産む前の女の子が行く場所じゃないよ」と心配され、不安になって両親にも相談した。そのとき「そこで子供を育てている人もいるのに、そんなことを言うのは失礼よ」という母親の言葉に背中を押された、と彼女は振り返る。
そうして給食センターで働き始めた彼女は、そこで初めて原発事故の「被災地」で生きる人々にも会った。
最初の頃、双葉町や大熊町に暮らしていた従業員に、「近いんだから、仕事帰りに家の様子を見てきたら?」と彼女は聞いていた時期がある。しかし、そう聞くと誰もが口ごもり、何とも言えない愛想笑いを浮かべたことを、今でも胸に留めたままでいる。
「まだタイベック(防護服)を着ていると思っている人も多い」
「あるとき『自分の建てた家を見ると、寂しくなっちゃうから行けないの』と言われ、はっとする思いがしたんです。彼女たちが抱えている複雑な思いを垣間見た気がして」
地元採用の女性たちの中には、条件の良い職場を探していたというだけではなく、福島の「復興」に少しでも携われる仕事をしたい、という気持ちを持つ人も多かった。そんな彼女たちと3年間という時間をともに過ごすうち、竹口もまた福島のために何かをしたいと考えるようになった。
「大熊町で働き始めてから、私は名古屋に帰る度にこの場所のことを話すようになりました。地元に帰ると、まだタイベック(防護服)を着ていると思っている人も多いし、『そんなところでご飯を食べて大丈夫なの?』と言う人もいます。私自身、それまで福島の復興なんて考えたこともなかった。いまは、もっとみんなが知らないといけない、と思うようになったんです」
2017年12月、イチエフ内の食堂では合計100万食を達成し、同月14日にフェアが開催された。これまでの人気メニューと県産品メニューとして竹口たちが用意したのは、A・ミックスグリル、B・ミックスフライ、麺・なみえ焼きそば、丼・豚肉うなダレ丼、カレー・ロースカツカレーであった。