経済面を重視すると結婚を選ばなくなる
もちろん、すべての女性が結婚後専業主婦になって夫の経済力に依存しようとしているわけではありません。しかし、たとえ結婚時は共働きだとしても、育児の時期は離職を余儀なくされる可能性も高く、事実そうなっています。少なくとも自分の稼ぎ以上の相手との結婚でなければ、「そもそも一緒になる意味がない」と考えるのも無理のない話です。
こうした状況から未婚男女の間では「結婚はコスパが悪い」という言われ方もされます。ここでいうコストとは、お金の部分だけではなく、自分の人生という時間の意味も含みます。そう書くと、「結婚はコスパじゃない。結婚をコスパなんかで考えているから独身なんだよ」と説教したい既婚者の方もいると思います。しかし、既婚者であればなおさら「結婚生活や子育てにお金がかかる」という現実を身に染みて実感されているのではないでしょうか。
経済学者ケインズは、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、市場における投資家の行動をこんな話で例えています。「100枚の写真の中から最も美人だと思う1人に投票してもらいます。ただし、最も投票が多かったトップの人に投票した者だけに賞品を与えます。
すると、投票者は自分が美人と思う人へ投票するのではなく、みんなが投票しそうな女性に投票するようになり、誰の好みでもない女性が優勝する」と。
自由な選択権を与えられても、そこに経済的メリットを提示されると、そこに気を取られて、結果的に、人は不自由な選択をしてしまうのです。結婚の選択も同様です。男女とも、結婚に対して経済的メリットを意識しすぎて、合理的に考えれば考えるほど、結婚そのものを選択しにくくなるというパラドックスに陥ります。
皆婚社会には「お膳立てシステム」があったが…
「結婚は消費である」という言葉だけを取り出すと、腑に落ちない人もいると思いますが、戦後間もなく、「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目を国民全員が買い揃えたように、大量生産・大量消費の時代を支えたのは、結婚することが当たり前だという規範に基づく皆婚社会です。
繰り返しますが、結婚とは、夫婦と子という最小単位の共同体を継続させるための経済活動にほかなりません。「三種の神器」の家電と同様、当時の日本の社会には結婚という消費を全員が享受できる社会的お膳立てシステムがありました。それは、お見合いであり、職場結婚という、いわば「結婚商店」でした。