いつまでも届かない日本のリーダーの言葉

ひるがえって、我が国、日本はどうでしょうか。“アベノマスク”などのコロナ対策の評判は芳しくなく、決然としたリーダーシップを発揮しているようにも見えませんし、むしろがっかりしたという人も少なくないと思います。特に言葉の力という点において、ヨーロッパで見られるように民衆の心に届く演説ができる政治家は、現在の日本にいないのではないでしょうか。

写真=iStock.com/Ryosei Watanabe
※写真はイメージです

ヨーロッパにおけるリーダーには弁証力が求められます。イタリアに住むなかで私が実感するのは、小さな頃からの学校教育に、その力を育むシステムが組み込まれているということです。

政治家たちがもつ言葉の力。その背景には、弁論力こそ民主主義の軸と捉える古代ギリシャ・ローマから続く教育が揺るぎなく根付いていると感じさせられます。リーダーが民衆に届く言葉を備えられるかどうかは、自分の頭で考えた言葉として、人々に発言できているかどうか。「言わされている」言葉には、人に届くのに必要なエネルギーが発生しません。

世間と、そして自らとしっかり対峙したうえで、国民は今どんな心境で生きているのか、どれだけ辛い思いをしているのか、自らもコロナ禍のなかで生きる一人の市民としての脳で考える姿勢は、政治家にとって不可欠です。

熟考の末に紡ぎ出された言葉は、小手先だけでまとめられた美辞麗句とは説得力のレベルが違います。国民の支持率を上げよう、とりあえず安心させる言葉を選ぼう、というおごりが滲んだ言葉を並べても、国民の気持ちを掴むことはできないでしょう。

一人ひとりが意見を言える環境が民主主義である

「開かれた民主主義に必要なのは、政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ようとすることです」

ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)

メルケル首相の演説でも、最初に政治の透明性、国民との知識の共有と協力について述べています。そしてそれらは民主主義が成り立つための「根幹」とも言える要素です。指導者として民主主義の何たるかを国民に自覚させ、「皆さん一人ひとりが意見を言える環境が民主主義なのですよ」という姿勢の確認から話を進めたわけです。

まるでどこかの学校の、立派な校長先生のように説得力のある姿勢とカメラ目線で「皆さん、考えてください」というメッセージを込めて呼びかけられたら、受け取る側は「はい」と思うしかありませんよね。もちろん、そういった演出の効果も計算されているのが、ヨーロッパにおける弁論の力というものです。

関連記事
医療水準世界2位だったイタリアで「コロナ医療崩壊」が起きたワケ
軽い風邪でも病院に行く神経質なイタリア人がマスクを嫌がる深い理由
医療水準世界2位だったイタリアで「コロナ医療崩壊」が起きたワケ
英国の超名門校トップが語る「日本の学校では創造性が育たないたった一つの理由」
バカほど「それ、意味ありますか」と問う