譲位反対を唱えた「保守」のお歴々

国民のほとんどにあたる8~9割は、「譲位」に賛成した。明確な反対は数%だった。

敗戦時、「皇室に反対するものなど、よほどの変わり者か共産主義者だ」と言われた。ところが敗戦後70年以上も立ってみると、日本共産党すら「天皇制廃止」の旗を降ろした。

「天皇制などという用語は共産党の造語だから使うな」と絶叫していた書誌学者の谷沢永一が見たら随喜の涙を流すはずに違いない光景だ。

では、どこの誰が陛下に盾突いたのか?

「保守」と「ネトウヨ」である。

しかも、その中に生前の谷沢の盟友だった渡部昇一までいた。そして「保守」のお歴々が、一斉に天皇陛下への批判の矢を放つ。

文学者の小堀桂一郎は、「事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻」と鏑矢を放つ(『産経新聞』7月16日)。法学者の百地章は、「摂政を置けばすむ」「皇室典範改正は一時的なムードや私的感情だけで結論を急ぐようなことは慎むべき」と各メディアで話した。

続々と寄せられる批判、なかには説教も…

『WiLL』9、10月号には、続々と批判文が寄せられた。

最も激烈だったのが比較文学者平川祐弘で、日本国憲法と外国の皇室の二つのみを引き合いに出して、譲位反対論をぶち上げた。日本の歴史など、顧みる必要が無いとばかりに。

渡部昇一は、「皇室の継承は、①「種」の尊さ、②神話時代から地続きである――この二つが最も重要です。歴史的には女帝も存在しましたが、妊娠する可能性のない方、生涯独身を誓った方のみが皇位に就きました。種が違うと困るからです。たとえば、イネやヒエ、ムギなどの種は、どの田圃たんぼに植えても育ちます。種は変わりません。しかし、畑にはセイタカアワダチソウの種が飛んできて育つことがあります。畑では種が変わってしまうのです」と、天皇を植物に例えて批判した。

漢学者の加地伸行大阪大学名誉教授は、「両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。もちろん、御公務はなさるが、〈開かれた皇室〉という〈怪しげな民主主義〉に寄られることなく〈閉ざされた皇室〉としてましましていただきたいのである」と説教を始める。

一斉に牙を向ける「保守」

神道学者の大原康男国学院大学名誉教授は、「何よりも留意せねばならないのは『国事行為』や『象徴としての公的行為』の次元の問題ではなく、『同じ天皇陛下がいつまでもいらっしゃる』という『ご存在』の継続そのものが『国民統合』の根幹をなしていることではなかろうか」とたしなめる。これは、まだ礼節を保っていた表現だった。

八木秀次は同年9月号の『正論』に「天皇陛下は、ご自身が在位されることで迷惑を掛けるとお思いであると拝察するが、国民の一人としては在位して頂くだけで十分にありがたいという気持ちである」と書いた。