悩まず切り換え早い運がいい人

信仰する宗教や信仰心の強さによって、人生観や世界観は変わるのか? 信仰心の強い人と弱い人の自分の運命に関する考え方を分析してみた。

まず信じている宗教によって、信仰心の強さが違うのかどうかを調べた(新宗教については絶対数が極端に少なく対象外とする)。その結果、キリスト教の信者は、ほかの宗教の信者や信仰する宗教がない人に比べて、信仰心が篤いことがわかる。信仰心が「とても強い」と答えた人は、キリスト教では25.00%いたが、ほかの宗教や無宗教では6%に満たなかった。

お参りに「困りごとに関係なく定期的に行く」と答えた人も、キリスト教では13.89%であったが、ほかの宗教や無宗教では12%未満にとどまった。年間のお布施や寄進の金額も、キリスト教は多めで、「10万円以上」寄付した人が5.56%いた。

一方で、信仰心の強さによる生活や意識の違いも調べた。「とても強い」という人は、困ったときのお参りの頻度で、ほかの人とは際立った違いが見られ、26.67%が「必ず行く」、23.33%が「困りごとに関係なく定期的に行く」と答えている。新型コロナウイルスの感染拡大といった「パンデミックや戦争の原因」については、信仰心が強い人ほど「科学で説明できる理由だけである」と回答する割合が減った。また、病気などの不幸の原因については、信仰心が強い人ほど、「避けられない運命」と考えている割合が増えた。

前述のように、信仰心の強さと人生での成功のしやすさには相関関係があるわけだが、信仰心の強い人が運命を従容として受け入れやすいことは、成功と関係するのだろうか? 島田さんは次のように分析する。

「国学者の本居宣長は、幸せも、不幸せも善神と悪神の仕業だと考えました。不幸は、悪神の仕業なのでしかたがない。それを受け入れるしかない。つまり、不幸は、誰のせいでもない不可抗力だから、悩んでも仕方がないというわけです。信仰心の強い人は、禊やお祓いをきっかけに気持ちを切り換えられるので、立ち直りも早いのでしょう」

キリスト教の「懺悔」、仏教の「悔過」のように、前非を反省し、穢れを浄化する行為も、精神をリフレッシュし、プラス思考に転換する効果があるのかもしれない。反対に「無神論者」は呪わしい運命を神様のせいにできず、合理的な原因や解決策を求めて延々と悩み続け、挙げ句の果てに自ら不運を招いてしまうと考えると合点がいく。