会見時間が35分を越えたところで、長谷川榮一内閣広報官は次のように述べて会見を打ち切ろうとした。

「予定しておりました時間を経過いたしましたので、以上をもちまして記者会見を終わらせていただきます」

異変が起きたのはこのときだ。この日の会見に参加していたフリーランスの江川紹子記者が、「まだ聞きたいことがあります」と声を上げたのだ。

この様子はNHKの中継でも流れている。しかし、安倍首相は江川氏の問いかけに答えることなく会見場を後にした。次の予定が入っていないのに会見を打ち切り、私邸に帰ってしまったことも後から判明した。

オープンな記者会見を求める声の高まり

江川氏がこの顛末をTwitterに書き込むと、すぐに大きな反響が寄せられた。これを受けてインターネット上では「安倍首相にオープンな記者会見」を求める署名活動も始まった(※4)。

※4:change.orgのホームページ「十分な時間を確保したオープンな『首相記者会見』を求めます!

この署名への賛同者は見る見るうちに増え、6月3日現在、4万3000人を超えようとしている。官邸はSNSやインターネット上の反応にも敏感だ。そのため、ここで首相会見の運用が大きく変わることになった。

新型コロナウイルスに関する記者会見は、2月29日の会見以降、3月14日、3月28日、4月7日、4月17日、5月4日、5月14日、5月25日の計7回開かれている。

フリーランスの記者は安倍政権下の7年2カ月以上、一度も質問者として指名されてこなかった。しかし、2月末に江川氏が声を上げてからは、毎回、必ず一人はフリーランスの記者が指名されるようになったのだ。

私も4月17日の記者会見で、安倍政権下で初めて質問する機会を得た。私はたった一度の質問機会を手にするまでに、7年3カ月以上もかかった。もっとも残念なことは、その機会が会見の主催者たる内閣記者会の主導によってもたらされたものではなかったことだ。

記者クラブが「国民共通の敵」になる日

私は質問者として指名された場合に備え、2つの質問を用意していた。一つは自分の専門分野である「選挙」に関する質問。もう一つは「記者クラブ問題」に関する質問だ。

いつものように、私は質問の事前通告はしていない。また、万が一長谷川榮一内閣広報官に指名された場合にも、「一問一答のルール」を盾に阻まれないよう、続けざまに2つの要素をまるで「一問」であるかのように質問することを決めていた。私の記者会見での質疑応答は、官邸ホームページに記録が残っている(※5)

※5:首相官邸ホームページ「令和2年4月7日 新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見