安倍官邸と記者クラブの「一問一答ルール」

会見の主催者であるならば、なぜ「追加質問」を認める運用にしないのだろうか。質問者を指名する内閣広報官になぜ、「公平な会見運用」を強く求めないのだろうか。

内閣広報官の進行に不満があるならば、主催者である内閣記者会が主導権を握り、厳しい質問をする記者をどんどん指名してもよいはずだ。

しかし、内閣記者会はそれをしない。これでは国民から「軸足をどこに置いているのかわからない」と言われても仕方がない。現在、首相会見の主導権は、完全に官邸側=権力者側に握られている。

「いやいや、そんなことはない。官僚は公平に記者会見を運用している」

そんな主張をする人もいるかもしれない。しかし、私は次の事実を提示したい。

2015年9月25日に行われた安倍首相記者会見では、世にも奇妙なことが起きている。この日の会見終了予定時刻が迫る中、最後の質問をしようと手を挙げていたのは、ほとんどが「記者クラブ以外」の記者だった。しかし、長谷川榮一内閣広報官は「記者クラブ以外の記者」の挙手が目に入っていたにもかかわらず、そのすべてを“黙殺”した。

驚くのはここからだ。なんと! 長谷川榮一広報官は、1ミリも手を挙げていない内閣記者会所属の記者(NHKの原記者)を指名したのである。突然指名された記者は「えっ!? 私?」と困惑の色を浮かべながらも、事前に用意していたと思われる質問を読み上げた。

撮影=小川裕夫
原稿を確認する安倍首相。手前には透明なパネルに文字を映し出す「プロンプター」がある。

それを受けた安倍首相は、想定問答にあったと思われる回答を淡々と読み上げて会見は終了した。

7年3カ月も無視され続けたフリー記者

これでもまだ不十分だという人もいるかもしれない。それでは次の事実はどうだろうか。首相会見が「内閣記者会以外の記者」にも一部オープン化されたのは、2010年3月26日の鳩山由紀夫首相会見が最初である。私もこの時から首相会見に参加し始めた。

この鳩山会見では、フリーランスの上杉隆記者が指名された(上杉記者は「謝辞」を述べるだけで質問はしなかった)。続く菅直人政権、野田佳彦政権では、私を含む複数のフリーランス記者が質問者として指名された。

しかし、2012年12月26日に第2次安倍政権が発足してからというもの、フリーランスの記者は長きにわたって質問者として指名されることがなくなった。いくら会見に出席して手を挙げても当ててもらえない。その期間は、なんと7年3カ月近く続いていた。

先に述べたように、記者クラブの幹事社は事前に質問内容を官邸側に通告している。それ以外の記者については定かではないため、記者会見が「完全な出来レース」と言い切ることはできない。