「棄民政策」が招いた現代版・姥捨て山

私は「東京棄民」と呼んでいるが、つまりは棄民政策である。これは墨田区に限ったことではない。都市部の自治体はどこも、地代、建設費ともに高いから、簡単に老人介護施設をつくれない。しかし高齢化が進んで施設に入らなければ生活できない住民は増える一方だから、結局は地方の高齢者施設に越境して入ってもらうしかない。

他方で、高齢者の年金や生活保護の受給を狙ってひと儲けを企む輩もわいて出てきて、無届けの高齢者施設があちらこちらにつくられ、自治体に売り込みをかける。

届け出のある高齢者施設なら介護士の数は法的に決められているし、防火設備やバリアフリーも整っているが、無届けではそうはいかない。NPOが運営していたという渋川の「たまゆら」の実態はわからないものの、報道によるとやはり無届けの施設で建物は古く、スプリンクラーは設置されていなかった。火災の晩も担当者が一人しかいなかったために、20人以上もいた入所者を運び出せなかったという。

こうした「現代版・姥捨て山」は全国に600施設以上ある。明日はわが身、なのである。

介護環境をきちんと把握しないで、地方の施設に高齢者を丸投げする自治体の責任は問われなければいけない。だが、そもそも財政上の限界がある市区町村に、増加する一方の高齢者の面倒を見させること自体、明らかに憲法違反だと私は考える。

憲法25条には、人間の尊厳を失わない健康で文化的な最低限度の生活を国が保障することを規定している。介護士の人手が不十分で、火災が起きても助けてもらえないような劣悪な介護環境で余生を送って、人間としての尊厳は守られているといえるのか。