ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。禅の修行で、絶食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるところまで落ちればいい。ある種のリセットをすることで、風景もまったく異なって見えるはずです。
生きるか死ぬかという段階になれば、例えばかつてはプライドが許さなかった「人に頭を下げる」ことさえ、簡単にできるようになるものです。
私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、「自分の手や足を鏡に映して、よく見てみなさい」ということ。ずうずうしく、でんっと生き続けてきた自分の姿がそこにはある。ものはついでです。今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。
そして、これからは、「温室育ちの花や野菜」ではなく、「波打ち際の防風林」のような存在になる、と誓うのです。海からの強烈な潮風に絶えず吹き付けられていると、根っこが張り、強くなる。耐久力がつきます。結局のところ、人生は経験や慣れがモノを言うところがあります。船が沈まないよう、その都度何かを打ち付けて補強する。そうやって経験値が高くなるごとに自分の中に手札も増える。それこそが自信となるのです。
そして経験値を上げ、転ばぬ先の杖ともなるのが「文化に触れる」習慣。例えば、日本の文豪の本を読み、歴史上の人物の生き様を知り、CGやドンパチばかりの今の映画とは正反対の胸にじわりと残る昔の映画を見る。そうした作品には、今、私たちが試練を迎えたときの生き方のお手本となり、背中をそっと押してくれる「ストーリー」が満載なのです。
火の粉がふりかかっているときは、悩んでなんていられない。
悩みがあるのは、まだ余裕がある証拠。
とにかく行動あるのみ。
この方法がダメならこっちとか、生きる方法を考えること。
そうしていくうちに、自然と手札が増えていく。
結局、人生はすべて経験、慣れなのです。
自信がなくなったら、鏡を見なさい。
ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。
今まで生きてこられたのだから、この先も十分生きられる。
尊敬される人とは、感情を理性でコントロールできる人。
知識や教養のない人は、感情的になって、なんの手立てもできない。
個人の考えはたかが知れている。
いろんな人たちが残した事物事象を参考にすればいい。
ネタがないとガソリン切れになりますよ。
1935年、長崎市生まれ。小学校から声楽を習い、国立音楽大学付属高校中退、16歳でプロ歌手となる。 「メケ・メケ」でファッション革命を起こし、「ヨイトマケの唄」以降はシンガーソングライターとしても活躍。著書に『紫の履歴書』『人生ノート』など多数。2014年4月からはNHK連続テレビ小説「花子とアン」の語りを担当。自身が作・演出・美術・衣裳・主演する「美輪明宏版 愛の讃歌エディット・ピアフ物語」の全国10都市公演を果たす。