スズキのいまにつながる4年間

急きょ社長に就いた鈴木修は、最初の4年間でいまのスズキにつながる基礎工事を行う。経営においての重要な決断・決定は、この4年間に集中しているのだ。つまりは進むべき方向を決める。5年目以降は、決断に基づく実行のフェイズとなる。

まずは「アルト」の商品化(発売は79年5月)と大ヒット。軽自動車市場は、72年から販売台数が100万台を切ったまま推移していた。

昭和30年代から40年代にかけて一世を風靡したものの、日本の道路からは消えていったオート三輪と同じ運命を軽自動車も辿るのかと、そんな危惧が色濃く漂っていた。これを吹き飛ばし、軽自動車市場そのものを再度作って、日本に定着させたきっかけになったのが「アルト」。商品化を主導したのは、社長になったばかりの鈴木修である。

小型車生産のパートナーを探していた世界最大手だったGMと提携したのは81年8月。これにより、世界的にはほとんど無名だった鈴木自動車工業(スズキ)は、世界からも知られる存在になる。

43年前のインド進出

インドの政府系自動車メーカーと、インドでの四輪車共同生産について基本合意したのは82年4月。鈴木修を世界的経営者へと押し上げたインド進出の決定である。

このほかにも、4サイクルエンジンの設備導入、小型車「カルタス」の開発着手(生産開始は83年8月)などなど……。1980年をはさんだ、この時期に現在につながる重要決定はなされていた。

決定の延長線上で、その後に頓挫してしまうのはGMとの提携である。ただし、それは決定から27年後。ずっと先のことだった。

「アルト」は、鈴木修の社長就任時に開発はかなり進んでいて、78年中にも発売はできる状態にあった。しかし、鈴木修は開発中の「アルト」を見ても、売れる予感がしなかった。これまでの軽自動車と、代わり映えがしなかったからだ。

鈴木修は、流れを変えたかった。エピック・エンジン開発の失敗が尾を引き、技術部隊は自信と元気を喪失していた。しかも、軽自動車市場そのものは、低迷を続けたままだった。

モノづくりを行うメーカーが流れを変えられるのは、やはり商品だ。新商品をもって、新しい地平を拓いていくしかない。