業界初の全国統一価格
北海道の販社に勤務していた石黒光二秋田スズキ副会長は、当時の販売現場の様子についてこう話す。
「アルトはすぐに売れてしまい、販社間でタマ(商品)の取り合いでした。来店されるお客様に対しては、整理券を配ってました。さらに、別の軽自動車を買ったばかりのタイミングでアルトが発売され、『どうしてもアルトに替えてほしい』と申し出るお客様もいました」
全国統一価格は、業界初の試みだった。当時は輸送費の違いから、地域によって販売価格に差があった。さらに、同じブランドの中でも、内装の違いなどから「デラックス」、「スタンダード」などと価格を差別化していた。これをひとつにまとめたわけだが、その後1999年発売のトヨタ「ヴィッツ」(現在の「ヤリス」)も全国統一価格を実施してヒットさせている。
「アルト」が大きく売れたことにより、軽自動車市場そのものも発売翌年の1980年には、100万台の大台を回復。以来、100万台を割り込むことはない。ちなみに、2023年が約174万台、24年は約156万台だった。
「軽自動車を作った男」
軽自動車をセカンドカーとする、新たなニーズが創出されるが、特に地方では自動車は「一家に一台」から「一人に一台」へと移行していく。きっかけを作ったのは「アルト」だった。
特筆すべきは軽自動車そのものの有り様の変化である。
21世紀に入り、我が国の高齢化は急速に進む。とりわけ、高齢化率が高いのにバス路線も廃止されていく地方において、「一人に一台」の軽自動車は、「生活者の足」と化していく。つまり軽自動車は必需品であり、インフラとなっていった。その原点に「アルト」はある。
なので、鈴木修は「軽自動車を作った男」なのだ。
アルトにはこんな秘話もある。
鈴木修は、心が重くなってしまった。
1979年5月12日の午後。この日は土曜日だったが、翌日に京都の国際会議場で新発売する軽自動車「アルト」の販売店向け発表会を控えていた。このため、浜松の自宅で説明の準備をしたのだが、そこに外注企業の社長の奥さんが突然、訪問してきたのである。
