取引先社長の奥さんの愚痴に答えが…

鈴木修はこのとき、アルトについて覚えることで頭が一杯の状態。営業企画から渡された資料では「アルトとはイタリア語で『(才能などに)秀でた』という意味」などとあった。

「何ともピンと来ない。明日、販売店の社長たちにどう説明したらよいのか。イタリア語の単語を一つ伝えたところで、彼らの心を動かせるとは思えない……」

悩んでいたところに、追い打ちをかけるような来客だったのだ。

「弱ったなあ……」。こうした突然の訪問は都会ではまずないが、田舎では珍しくはない。そして、たいていは聞きたくはない内容だ。忙しいからと本当は断りたい。が、地縁関係が強い田舎の浜松では、そうはいかない。

準備を中断し「どうぞ」と仕方なく招き入れると、奥さんはご主人の不品行を訴え始めた。

発表会の前日、夫の愚痴をこぼす奥さんに閉口しながらも、鈴木修は問うた。「で、どんなことがあったのですか」と。すると、「主人は“あると”きはこんなことを、また“あると”きはあんなこともやらかしまして」と答えたのだ。

「奥さん、いまなんと仰いました!」

「ですから、あるときは……」

この瞬間、鈴木修は閃いた。「これは、イタリア語よりわかりやすい」と。

不測の事態から「突破するヒント」を

翌日の発表会で「あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、あると便利なクルマ。それがアルトです」と、キャッチをひねって話したのだ。

永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)
永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)

会場は大いに受けた。

突然の来客という不測の事態だったのに、「突破するヒント」を見つけ、販売店の人たちの心をつかんでしまう。

「いつも目標を持ち適度な緊張感を持っていると、気づきは必ずある」

と鈴木修は話してくれた。与えられたものを暗記するなど従うだけではなく、感性を豊かにアンテナを張っておけという意味だろう。

アルトのヒットで得た利益により、自動車の主流である4サイクルエンジンの生産設備を逐次導入していく。さらに、1000㏄クラスの小型車開発も水面下で始めていった。

ここまでは、鈴木修が意図した展開だった。自分が描いた戦略・戦術がうまく当たって、好結果を導けた。

一方で、世界最大の自動車会社だったGMとの提携、さらにインド進出は意図したものではなくて、外から訪れた案件だった。鈴木修が持つ「運」により引いてきた新境地である。