発想の基本は「ユーティリティー」
自著『俺は、中小企業のおやじ』によれば、工場に働く従業員たちの多くが軽トラックで通勤していたのを見て、鈴木修は新商品を発想したとある。つまり、彼らは工場で働きながらも野菜を作って市場に出荷していて、軽トラは通勤にも農作業・出荷にも利用できて、使い勝手がよかったのだ。
こうして、アルトを乗用ではなく商用として、商品化することを決める。同書には「そのときは『商用車』あるいは『乗用と商用の兼用車』に大きな風が吹いていたのです」とある。
社長というよりも、新商品開発を行うマーケッターとしての鈴木修の才能が生かされたのだった。ユーザーの使い方から判断して、アルトは商用に方向付けられたのだ。このため、デザインは丸みを帯びたものではなく、やや角張ったものとした。
商用で角張った「ジムニー」をヒットさせた成功体験を持つ鈴木修は、アルトを商品化し、やがて1993年発売の「ワゴンR」という大ヒット商品へとつなげていく。いずれも、デザインは角張り系なのは共通するが、根底に流れるのは、お客様にとってのユーティリティー(つまりは便利な使い勝手)を基本に発想したモノづくりだった。
47万円の「アルト」が大ヒット
商用と決めたことで、当時あった物品税が課税されなかったのは、価格を押し下げる面で大きかった。物品税の対象は贅沢品であり、乗用には15~30%もの税がかけられたが、商用ならばゼロだったのだ。
もう一つ、商用としたことでスズキが得意とする2サイクルエンジンを堂々と搭載できた。商用の排ガス規制は緩く、規制に対応する高出力エンジンが既にあったのだ。北海道の中山峠でも日光いろは坂でも、難なく登れるエンジンがである。
鈴木修は技術部門に対し無理なコストダウン要求を突きつける。「私は、稲川さん(誠一常務、後に会長・技術部門のトップ)に『1台あたりの製造コストが35万円。それで儲けが出るクルマをつくってほしい』と言いました」(自著『俺は、中小企業のおやじ』)とある。35万円にするため、「エンジンを取ったらどうだ」と鈴木修は迫ったとされている。
技術部隊は、徹底的な軽量化を推し進める。軽くすれば、使用する部品や素材は少なくなり、コストダウンがはかれ、燃費性能も向上する。既存の2サイクルエンジンを搭載したことも、生産コストを抑えられて販売価格の低減にもつながった。
当時、軽自動車は60万円台で売られていた。これに対し「アルト」は、価格を全国統一の47万円と設定した。
衝撃的な値付けが受けて「アルト」は大ヒット。当初「月5000台売れれば」と目標を立てていた。ところが、発売1カ月目の注文は8400台、2カ月目は1万台に上がる。3年間で累計50万台も売れるのだ。
