ヒトラーは苛立っていた
第一次世界大戦の前夜、当時の陸軍参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェン元帥(最終階級)は、ドイツは東でロシア、西でフランスとの二正面戦争を余儀なくされると想定した。その場合、国土が広大であるために動員が遅く、ドイツ東部への侵攻もあとになるであろうロシアはひとまず措いて、まず西部に主力を送り、短期決戦でフランスを降すべきだというのが、シュリーフェンの戦略だった。
作戦的には、ドイツ軍の右翼を強化し、パリの西方(東方ではない)を通過する一大機動によって、フランス軍を包囲殲滅する構想であった。世にいう「シュリーフェン計画」である。
1939年から1940年初頭までのOKHの西方作戦構想は、つまるところ、このシュリーフェン計画の延長線上にあったのだといっても過言ではあるまい。
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