「好き」を突き詰めることの光と影

でも、かれは学校では変人扱いされていた。

ほんとうに孤高の趣味人とするべき勇敢な子だったが、やがて退学になった。今も同窓会のときに、その子のことを数人で懐かしく思い、その後どうなったかを気に掛ける。こういう思い出が「物語」となっていく。

若すぎたために大家になりそこなった旧友は何人もいる。みんな、1つのことが好きになりすぎた結果であった。

雨の日の交差点の写真。他がモノクロで、手前の傘だけ赤く着色されている
写真=iStock.com/LFO62
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令和時代の子どもはオドロキ

そういう学校生活を送ったわたしには、令和の時代の子どもたちがむしろ驚きの対象に見えてくる。

なぜって、パソコンが普及し、どんなデータベースにも自由にアクセスできるようになり、情報も拡散できるという、信じられない世界になったからだ。

このような「驚くべき新世界」では、子どもでも大人でもすぐに「その道の大家」になれるし、社会も両親も応援してくれる。オタクとも博士ちゃんとも呼ばれて、注目される。

ところがいっぽうで、ほんとうに社会から忘れ去られたり、消されたりする子もたくさん出てきている。いやいや、わたしたちはその子の物語を消す役割さえしてしまう。