一生とは「自分の物語」をつくっていくこと

そういうハンデを乗り越えるにはそれなりの覚悟がいる。けれども、こういう困難はかならず、あとで自分の宝となるし、自分の「物語」の一部となって記憶される。

人生なんて、結局は自分の物語を一生かけてつくっていくようなものだ。なぜなら、その物語があとでみんなに記憶される「あなた」になるからだ。

だから、何をやるにしても、ぜんぶが「自分」というジグソーパズルのワン・ピースになる。

みなさんにも覚えがあるかもしれない。何かに熱中するために何かを捨てたとしても、それは捨てたんじゃなくて、自分の物語の空白を埋めていくための、「あいだのショート・ストーリー」となるのだ。

「アラマタ流」はすすめられないが…

わたしは、自分のことをさて置いて、大人になってからは学生にこういう暮らし方をすすめたことはなかった。

学校ではよく「趣味は読書」と誇る生徒がいるが、ベストセラーや学校推奨の名作ぐらいでやめときなさいと、忠告した。それぐらい、好きな道に専心することはやめられない喜びがあったし、そのために何かをあきらめることも平気だった。

わたしが中学生時代、学校で唯一親しい友となった同級生がいたが、かれは子どもながら拳銃とハードボイルド小説のマニアで、『マンハント』という専門雑誌のコレクターだった。

ふとしたことで仲良くなり、かれの家で拳銃模型や拳銃発明の歴史や、アメリカ開拓時代の詳しい話を聞かせてもらうようになった。それが楽しみだったし、尊敬できた。