中学3年で平井呈一氏に師事
好奇心に駆られて、さまざまな分野に出入りしているうちに、背伸びする性格になった。たとえば、本を読んで感動すると、著者の先生に手紙を書いて、いろいろ質問するのが大好きだった。
むかしは著者の住所までが本の奥付に出ていたから、どんどん手紙を書いた。
最初は小学6年生のときで、水産技官の新井邦夫先生という方に、当時珍しかったランチュウという高級金魚の飼い方をたずねたところ、親切な返事がもらえた。
それ以来、世に権威と呼ばれる人々にごく気軽に手紙を出す習慣がついた。中学3年では、小泉八雲の翻訳者として名高い平井呈一先生のお弟子にしてもらえた。
「師匠探し」で人生が一気に広がる
社会人になってからも、妖怪マンガ家の水木しげる先生や、情報知識の機械化を早くから提唱された評論家の紀田順一郎先生にも教えを受けた。
思えば、この「師匠探し」のエネルギーだけが自分の取り柄であって、あとは、タダの気弱ないじめられっ子にすぎなかったのだ。仕事が遊びにもなっていた。なんてお気楽な! といわれるかもしれないが。
じつは、このように好きなことにのめりこむ生活は、案外にむずかしいし、覚悟も必要だった。
まずモテないし、学校の教科書は退屈で身が入らないうえに、昆虫採集やらマンガの捜索やら、お化けの研究といった怪しげなことに熱中していたので、教師からの評価はものすごく低かった。
