「備蓄米」を流通させず、米価を上げようとした

それは意次が権勢を誇った「田沼時代」にも続いていたのです。当然、米価が安いということは幕府や諸藩の財政、ひいては武士の家計に打撃を与えます。では意次の時代にはどのようにして米価を引き上げようとしたのでしょう。

手法の1つとして挙げられるのが「囲籾かこいもみ」(囲米)です。囲籾とは幕府が飢饉ききんなどの非常時に備えて諸藩や村に命じて備蓄した籾米、つまり「備蓄米」のこと。しかし米価調節にも利用されました。米を大名の領内に留め置くことによって米の流通量を減らすことができれば米価は高くなるのではと考えたのです。