翌1946(昭和21)年に復員して、後免町へ戻る。

育ての母のキミさんから聞かされた悲しい知らせ

その時、育ての母のキミさんから聞かされたのは、弟・千尋さんの戦死だった。京都帝国大学に進学した千尋さんは、海軍特攻隊を志願して、南方で亡くなっていた。

「やっとのおもいで 上海に辿(たど)りついた時 もう戦争は終わっていた どうにか故郷へ帰りついたが ぼくを待っていたのは 弟の白い骨壺だった 壺の中にはちいさな木札が一枚だけ なんにも入っていなかった 白い海軍将校の制服の弟は 仏壇の写真の中で微笑していた 『兄貴 お先にいくぜ』というように」(『やなせたかし おとうとものがたり』フレーベル館刊)