政治家の答弁が「響かない」シンプルな理由

AIを活用して資料作成すること自体は構わない。ただ、そのせいで、自身の担当業務について「トコトン思考整理する=考え抜く」プロセスを省いているのだとしたら、たとえ資料作成時間を数分に短縮できたとしても、業務遂行の役には立たないだろう。

自分が考え抜いたうえで、ジブンゴト化して話していない言葉は、相手には響かない。ヒトゴトのようにしか聞こえないからだ。官僚が作成した答弁資料を見ながら話している国会議員の映像を思い浮かべてもらえば、このことはすぐに納得してもらえると思う。

AIが作成した資料でヒトゴトのように報・連・相されても、聞き手は不安になるだけだ。心配になった相手は、あなたにいろいろとツッコミを入れて確認したくなって当然だ。

ところが、自分で考えてジブンゴト化できていない資料についてあれこれ聞かれても、適切な応答は難しい。かといって、「AIが作った資料なので、AIに聞いてみます……」などと言い出したら最後、もはやその人の仕事上の役割は何なのだろうか。

このあたりも、国会議員の答弁や応答を思い浮かべてもらえれば、「AI普及後の職場の景色」についての解像度が一気に上がるはずだ。

壇上でスピーチする男性
写真=iStock.com/Semen Salivanchuk
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自分、自分、自分

AIに「資料作成」を代行してもらうことは別に構わないが、AIに「思考整理」まで代行させてしまうのはマズい。

AIに「自分で考えるプロセス」まで手渡してしまうと、「自分の頭で」考えて、「自分なりに」まとめて、「自分らしい」言葉で表現することができない。

自分、自分、自分。

要するに、「当事者意識」をもって働くことも、「主体性を発揮」して仕事に臨むことも、「責任感」をもって業務を全うすることもできなくなってしまう。これが、今回考えてもらいたい最大のメッセージだ。

これまでは、資料作成を通じて当事者意識や責任感を醸成することができた。ジブンゴト化することができていた。

資料作成をAIが担うことで、これから資料作成の時間自体は一気に削れる。その効率化はいくらでもやればいい。

一方、思考整理の時間は削って良いのか。自業務への当事者意識や責任感が希薄になるレベルでこの時間を削ったら、ヒトゴトのような他責的な働き方しかできなくなってしまう。

そんな言葉で、果たして相手には伝わるのか。単なる情報伝達ならそれでも構わないかもしれないが、議論や説得、交渉が伴うようなコミュニケーションは、引き続き「トコトン考え抜いてジブンゴト化する力」が問われるだろう。