上杉→北条→徳川という寝返り
滝川一益が北条氏政の嫡男、氏直に敗れた間隙を縫って沼田城を奪還し、上杉が上野国に侵攻してくると上杉に臣従した。ところが、すぐに北条氏直に降伏し、わずか2カ月余りのちには徳川家康と連絡をとり、北条を裏切って徳川に寝返っている。どうやら、寝返りの基準は、沼田城を守りたいという点にあったようだが、ともかく、相手を翻弄する変わり身は鮮やかである。
次の逸話からも、昌幸の沼田へのこだわりがうかがい知れる。天正10年(1582)10月末、家康は北条と和睦を締結し、(1)家康の次女の督姫が北条氏直に嫁ぐこと、(2)北条氏の勢力下にあった甲斐国都留郡、信濃国佐久郡と、徳川臣下である真田氏の領土である上野国沼田領および吾妻領が交換されること、が決められた。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能
