共同宣言に「択捉」「国後」を盛り込めなかった理由
1956年の共同宣言交渉時には、日本政府としてはシベリアに抑留されていた同胞の帰還、漁業交渉の妥結、国連加盟といった解決を迫られていた種々の急を要する課題があった。
こうした諸課題の解決と国交正常化を急いだからこそ、共同宣言に「択捉島」「国後島」の文言を盛り込めなかったもののまとめに走ったことは、多くの識者が指摘してきた通りだ。
換言すれば、日本側ははじめから四島一括返還の立場であったが、ソ連側が応じたのは歯舞、色丹の引き渡し提案であり、日本側は国後、択捉も要求したものの、結局物別れに終わった経緯がある。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能
